牧師のショートメッセージ
「この病気は死で終わるものではありません」
田村誠喜 牧師 2024年3月
これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は
死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。
それによって神の子が栄光を受けることになります。」
新約聖書 ヨハネの福音書 11:4
寒暖の差が激しい中ですが、桜のつぼみが大きくなりました。教会では、信仰を持って眠りについた方々を覚え、3月10日(日)の召天者記念礼拝と、午後、ラザロ霊園の教会墓地で記念集会を計画しています。また、キリストが十字架につけられたことを記念し、3月29日(金)受難日夕拝を献げます。3月31日(日)はキリストが復活したことを記念してイースター礼拝を献げます。教会にとっては、イエス・キリストが人類の敵である罪と死に勝利され、よみがえられたことを記念する喜びの季節です。どなたでも参加を歓迎致します。
1、イエスは、友人が病気だとの連絡を受けた時、「この病気は死で終わるものではない」と語られた。
ある病気は治療等によって死には至らず、癒やされて元気になることもあり、あるいは入院して、ほどなく召される方があることも経験します。イエスは「友人の病気は、神の栄光のためのもので、それによって神の子イエスが栄光を受けることになる」と語りました。病気を否定するのではなく、神の栄光のためであり、神の子イエスが栄光を受けるためであると語ったのです。私たちの人生には、病気や、事故や、様々な思いがけないことが起こります。神の御子イエス・キリストは、それは、私たちが行き詰まり滅んでしまうためのものではなく、神の栄光のためのものと語っているのです。
伝道者の書3:1~8、すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。・・・・・
エレミヤ29:11、わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている ― 主のことば ―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
2、神の子イエスが栄光を受ける、とはどんなことだろうか。
聖書は、イエスがただの人ではなく、神の御子であると、人々の前で客観的に明らかになり、人々が「イエスは神の御子、ひとり子の神、救い主です」と告白し、賛美して礼拝することが、イエスが栄光を受けることであり、御子イエスを、私たちのもとに遣わした父なる神が栄光を受けられる、と教えています。イエスが、神の御子として完全に栄光を受けられたのは、十字架の死と、それから三日目の復活と、さらに四十日目の雲に包まれての昇天と、そこから十日目の五旬節の日に弟子たちに注がれた神の御霊によってでした。イエスは、現代においても世界中で、復活を記念する毎週の日曜の朝に礼拝され、栄光を受けておられるのです。
ヨハネ2:11、イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで(水をぶどう酒に変えて)行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
ヨハネ7:38~39、わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。
ヨハネ12:23~24、すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
ピリピ2:8~11、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。