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牧師のショートメッセージ

「福音への道しるべ」

浜田文夫 牧師    2026年1月


出エジプト記20章1節-17節

 外国のことばで「十戒」を単純に「十のことば」と呼ぶことがあります。十の戒めが与えられた、ということよりも、1節にあるように「神は次のすべてのことばを告げられた」ことを受けているのでしょう。これは、神がイスラエルの民に語られた「ことば」である。そこで神は「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」と、ご自分を示されました。人間がまことの神をイメージすることはできませんが、神の側から人間にご自分を明らかにされた、そのことばでこの「十のことば」は始まります。しかも、この神が「あなたの神」だと言われます。そこに神と人間とのかかわりが始まります。神が告げられたことばを通してのみ、私たちは神を知ることができるのです。
 この神はかたちを持たず、人間はそれを見ることができません。ですから神を物体として表現できず、イメージできません。かたちとして表現できない神を表現する方法は「ことば」でした。神がどのような方であるかを言語化するのです。そこで旧約聖書は、神がどのような方であるかを語るのに、神学論文や哲学書のような難解な文書で、神を概念として捉えません。イスラエルの民に働かれる神の歴史を記録するのです。また、旧約聖書の文学的世界は、可視化することを禁じられた神を表現する詩人たちの「ことば」に満ちました。そのような神認識の「ことば」が、「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」・・・と言うのです。それらは単に禁止事項の羅列ではなく、また道徳的な価値観でもありません。形として表現できない神は、どのようなことを嫌われる方なのかを明示する「ことば」であり、神ご自身を言語化した「ことば」でもあるのです。
 しかし「ことば」は、人によって誤解され、曲解され、拒絶されもします。そこで新約聖書では、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と言い、その「ことば」が「父のふところにおられるひとり子の神」として「神を説き明かす」のです(ヨハネ1章)。その主イエスは、山上の説教で「殺してはならない」「姦淫してはならない」等の戒めを人間の心の中にまで深め、守られるべきことを教え、「あなたがたの父が完全である」ことを示されました。形のない神を私たちに理解できる意味として、「完全」と表現されたのです。
 それとともに、主イエスはあなたがたも「完全でありなさい」と言われ、神のかたちに創られた人間が、神のかたちに生きる道を示しされたのです。また主イエスは「わたしを見た者は、父を見たのです」と言って、かたち無き神を私たちに示されます。主イエスは十字架の死とよみがえりによって神が「愛」であり、「義」であることをも示され、私たちが神のかたちに生きる道を、十字架の死を通して開いてくださったのです。

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