Home

牧師のショートメッセージ

カペナウムの人々の信仰


田村誠喜 牧師    2017年8月

 主イエスは、荒野で悪魔の誘惑に勝利された後、ナザレを去ってガリラヤ湖の北西の町・カペナウムに住んで宣教を開始された。その後も、カペナウムは「イエスは・・・自分の町に帰られた。」(マタイ9:1)と記録され、主イエスとその弟子たちの伝道基地の町とされていた。身近に主イエスの御姿と、その数々の御業を見て、御国の福音を直接に聞いたカペナウムの人々の信仰はどんなものだったろうか。変わることのない主のみことばと御業を受けている現代の私たちの信仰はどんなものだろうか。

1、イエスを捜し、自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとする。  カペナウムの人々は、主イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとしていた(ルカ4:42)。しかし、主イエスはその求めには、まったく応じないで、「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために遣わされたのですから。」と言って、ガリラヤ全地に福音を告げ知らせ、悪霊を追い出されていた。マルコ1:38~39、ルカ4:43  カペナウムの人々の主イエスへの熱心は、自分たちが如何に助かり、これからも助けられて楽しく過ごせるかが中心ごとで、神の御心は何か、主イエスのご計画は何か、と考えることが出来なかったのです。神中心の信仰とは違って、自分たちの利得や楽しみが中心にあったのです。

2、ガリラヤ宣教が進む中、カペナウムに対する主からの警告のみことば  マタイ11:20~24、「それからイエスは、数々の力あるわざの行われた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。『・・・カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。』」 主イエスは、恵みの御業とみことばをいただいているカペナウムの人々に、天からの硫黄の火で滅ぼされたソドムのさばき(創世記19章)よりも厳しいさばきになることを語って、悔い改めを迫っていた。  現代の私たちは、主の御霊による、どんな力ある御業・大きなあわれみの御業を見させていただいているだろうか。その御業を確かに見て味わっている者として、自らの不信仰を悔い改め、弱さの中に完全に現わされた主のご愛に大きな感謝と賛美と信仰を現わしているだろうか。

前へ
次へ