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牧師のショートメッセージ

新しいぶどう酒は新しい皮袋に


田村誠喜 牧師    2017年9月

 「また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」マルコの福音書 2章22節

背景、パリサイ人は、週に二度も断食し、自分たちこそ聖書の教えに忠実な者だと考え自慢していました(マタイ6:16~18、ルカ18:12)。しかし、イエスの弟子たちは断食しませんでした。人々は、何故あなたがたは断食をしないのかと詰問しました。

1、旧約聖書が教える断食。レビ16:29~31、Ⅰサムエル7:5~6、イザヤ58:5~7  「第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない・・・これがあなたがたの全き休みの安息であり、あなたがたは身を戒める。」「わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。・・わたしの好む断食はこれではないか。悪のきずなを解き・・しいたげられた者たちを自由の身とし・・飢えた者にはあなたのパンを分け与え・・あなたの肉親の世話をすることではないか。」  断食は、自分の身を戒め自分を弱くし、主の御心を聞かせていただく時であり、主を深く知らされ、悔い改めて、主と人々のために献身的に仕えることです。

2、なぜ断食しないのか、と尋ねる人々への警告のみことば。マルコ2:19~22  主は、ユダヤの結婚式を思いながら「花婿が自分たちと一緒にいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿が一緒にいる時は、断食できないのです。」と語りました。このみことばは、十字架による罪の赦しと神の愛を明らかにする主イエスが共にいて下さる新しい時代が来て、断食が不要となったことを教えています。   また主は「真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはなさいません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」と語りました。  新しいぶどう酒である「十字架の救いによる神の恵みと喜び」は、古い皮袋である「伝統や律法の行いによる救いを得ようとし、神への根本的な不信仰と高慢を悔い改めない人々」に注ぎ入れても、間もなく張り裂けてしまいます。だからこそ新しいぶどう酒は、新しい皮袋である「みことばと御霊によって自我が砕かれ新しくされた人の心」に入れられるのです。私たちは、主のみことばを聞く時、どんな注意をしていますか。

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