牧師のショートメッセージ
神の御子の十字架からの祝福
田村誠喜 牧師 2018年4月
キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。 それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。 Ⅰペテロ 3章18節
教会のシンボルになっているキリストの十字架の祝福を、十字架につけられた時に神の御子イエス・キリストが 語り宣言したみことばから確認してみよう。
1、神の御子は、十字架上で罪人である私たちのためにとりなしの祈りをされた。
私たちは、道徳的にも罪深く汚れた者で、何よりもいのちも仕事も家族も与えられ、神から愛されているにもかかわらず、
神を信じることも感謝することも愛することもなかった者でした。あらゆる恵みを与え続けて下さった
神の御子を十字架につける私たち罪人のために、神の御子は祈って下さった。「父よ、彼らをお赦しください。
彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」ルカ23:34、
2、神の御子は、両隣で十字架につけられた強盗の一人に、救いを宣言された。
イエスの両隣には、強盗で極悪人の二人が十字架につけられた。当初、二人は群衆や指導者たちと同様で
「他人を救ったように、自分とおれたちを十字架から救って見ろ。そしたら信じよう。」と叫んでいた。
しかし昼頃、強盗の一人が「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。
だがこの方は、悪いことを何もしていない。イエス様。御国で私を思い出してください。」と祈ると、
イエスは「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と救いを宣言された。
主への信仰と罪の告白は、私たちを救いに入れます。ルカ23:39~43、
3、神の御子は、十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。
イエスは午後3時頃、十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれた。
イエスは、罪を犯したことがなく、その口に欺きがない聖い神の御子でした。しかし、イエスは十字架の上で、
私たちすべての者の罪を、その身に負われたのです。そのために父なる神から罪深い者としてさばかれ捨てられたのです。
キリストは、私たちのためにのろわれた者となることで、私たちをのろいから贖い出してくださいました。
参照、Ⅰペテロ2:22~24、ガラテヤ3:13、この叫びこそ、神の御子が私たちの罪を本当に背負ってさばきを受けて、
私たちがさばかれないようにして下さった証拠です。
4、神の御子は、十字架上で「完了した」と宣言して、息を引き取られた。
イエスは、十字架上で息を引き取られ死ぬ直前に「完了した」(ヨハネ19:30)と宣言された。
意味は、旧約聖書の「神が遣わす救い主は罪人を救い出してくださる」という救いの預言が成就したことである。
御子イエスによって、罪からの救い、すなわち神との平和の道は完成したので、
私たちには信仰と悔い改めの応答が求められている。