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牧師のショートメッセージ

死に至るまで忠実でありなさい


田村誠喜 牧師    2018年11月

 「あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。」 ヨハネの黙示録2:10~11

背景:私たちは苦難の中にある友を、どのように慰め励ますだろうか。黙示録の目的は、迫害下の教会を励まし、その将来を示し、信仰と希望と忍耐を与える事。神は、このため使徒ヨハネに栄光を現し、みことばを聞かせ、書かせ、届けさせた。スミルナの町は、エペソの北方にあり、エペソと並んでアジア州最大の町。ローマに忠実な同盟国。ローマの女神や皇帝の神殿があり、皇帝礼拝を最初に始めた(AD26年頃)都市。

1、スミルナにある教会の良い点に対する、主から評価のことば。9~10節

(1)信仰ゆえに戦っている彼らの苦難を知っており、恐れることはないと励ました。
 苦難:重圧で押しつぶされる激しい苦しみ患難。スミルナの教会の苦難は、ユダヤ人だと自称している者たちからのののしり(うわべの伝統による御言葉軽視、肉の割礼による高慢・自慢)と、サタンの会衆(十字架と復活の否定、御言葉を根付かせない、偽る。マタイ16:21~23、マルコ4:15、ルカ8:12、使徒5:3、創世3:4~5)からのののしり。教会の誰かが牢に投げ込まれると言う苦難。

(2)信仰ゆえのあなたの貧しさを知っているが、あなたは富んでいると励ました。
 貧しさ:食べられないほどの極度の貧しさ。贅沢物がない貧しさは別。スミルナの教会はこの世の人々に合わせる歩みではなく、信仰によって生きているのでののしられた(Ⅰペテロ4:4)。だから富んでいる、豊かだと、神から証言され祝福される。全く反対の教会がラオディキア。「あなた(ラオディキア教会)は、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸である。」黙示3:17

  2、非難すべき点はないが、教会として取るべき信仰姿勢が語られる。10~11節
 七つの教会の内、五つは罪の悔い改めが命じられたが、スミルナは忠実な貴重な教会。

(1)受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない、恐れるな。
 苦しみは悪魔によるが、神の許しの中、信仰を試し、確認し、強め、聖める時となるので、恐れるな、と命じている。ヨブ記1:9~12、20~22、2:10。たとえ試練の中で失敗があっても、神は私たちを砕き練り聖めて、主の栄光のため用いて下さる。ルカ22:31~32、Ⅰペテロ1:7

(2)死に至るまで忠実でありなさい。
 主の十字架と復活により、罪を赦され、永遠のいのちに入れられ、死の恐れから解放された私たちは、益々、主を喜び、御名の栄光のため真心から主に仕える。忠実に仕えるために鍵となることは、自分の信じている主をよく知ること。マタイ25:21、Ⅱテモテ1:12「そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じて来た方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。」

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