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牧師のショートメッセージ

     捕縛され裁きを受ける神の御子キリスト


田村誠喜 牧師    2019年4月

「・・時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」マルコの福音書14:41~42

背景:主は、弟子たちと祈りに向う途中、弟子たちの躓きとご自分の復活とガリラヤでの再会を予告した。しかし弟子たちは御言葉を否定し、御言葉を聞けなかった。主はゲツセマネで三度も繰り返し、ご自分の願いではなく御心が行われるように祈り、十字架に向った。

1、「先生」と言って口づけし、自分を裏切るユダに、最後まで語り続ける主。
 ユダはゲツセマネに来ると、イエスに「先生」と言って口づけした。闇の中で、主を捕えるための合図であった。ユダは引き渡しの代価・銀貨30枚を受け取っていた。弟子たちの金入れを預かっていたユダはいつも盗んでいた。べタニアの香油の注ぎの時、主の警告があった(ヨハネ12:1~8)が、ユダは悔い改めなかった。サタンはユダの中に入った(ヨハネ13:27、ルカ22:3)。 それでも主は、ユダに最後まで優しく厳しく語りかけた。ヨハネ18:4~5、イエスは自分のほうから、誰を探しているのですか、と語りかけた。ルカ22:48、ユダ、あなたは、口づけで人の子を裏切るのか、と叱責した。

2、主は、自分を捕えるためにやって来た人々にも、しっかりと語った。
 主は、自分を捕えに来た人々の不正を厳しく叱責している。どうして剣や棒を持って捕らえに来たのか。宮で毎日、明るい中で教えている時は捕らえなかったのに、誰もいない、誰にも見られない夜の闇に紛れて捕らえようとするのか。正当な理由がないのに、こそこそ動くのか。主は、彼らの闇の業を厳しく叱責している(マルコ14:48~49、ルカ22:52~53)。主の十字架や復活の御業を見るようになる人々の悔い改めと救いを覚えて語る主の大きな愛に満ちている。

3、主は、大祭司邸での最高法院の裁きで、様々な偽証に黙して何も答えなかった。
 主は、自分に不利な証言や偽証がなされても、何もお答えにならなかった。大祭司は主に「何も答えないのか。この人たちが不利な証言をしているが、どういうことか。」と言っても何もお答えにならなかった。主は、この裁判が偽証する人々を準備した不当で罪深い裁判であることを浮き彫りにするために黙っていた。神は、人々を罪の中から救い出す時、まず人々の罪を明らかにし、十字架のキリストのもとに導くために、律法(聖書)を与えた(ガラテヤ3:22~24)のと同じである。 主は、ただ黙しただけではなかった。ヨハネ18:20~23では、主はイスラエルの指導者たちの不正と闇の業を指摘している。また、大祭司が「ほむべき方の子キリストなのか。」と尋ねると、「わたしが、それです。」答えた。主は、ご自分が、神の御子キリストであり、力ある神の右の座に着き、そして天の雲とともに再び来て、永遠の救いと滅びの裁きをされる方であることを明確に語った。(マルコ14:61~62)

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