牧師のショートメッセージ
祈りによる大胆な宣教
田村誠喜 牧師 2019年8月
「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」 使徒の働き 4:31
1、聖霊に満たされて、神のことばを大胆に語り出した初代教会。
ペテロとヨハネは最高法院で「今後だれもイエスの名によって語ってはならない(4:17~18)」と脅されていたが、教会は大胆に神のことばを語り出した。主の奇跡を、十字架の贖いの死と復活を、父なる神の右の座への昇天を、助け主である神の御霊の注ぎを、目撃し体験している者として、聖霊に満たされ大胆に語っていた。確信と喜びに満ちて、福音を語り、悔い改めを迫っていた。
大胆に:確信をもって(使2:29)、率直に(使26:26)、遠慮せず(ピレ8)、明確に(ヨハネ10:24)
2、大胆な福音宣教の背後には、心を一つにした祈りがあった。
(1)ユダヤ最高法院は、ローマ帝国下であるが、司法も行政も律法も宗教もすべての権限を持っていた。ペテロとヨハネはその最高法院で「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」と宣言をしていた。宣言の影には、捕えられた日の夜の留置場での二人の隠れた祈りがあった。その土台は「人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようかと、何を言おうかと心配しなくてもよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」(ルカ12:11~12、ルカ21:12~15)であった。
(2)釈放されたペテロとヨハネが教会に戻った時、最高法院での留置や尋問や脅しの一切を残らず報告した。これを聞いた教会は心を一つにして神に向って祈った。その祈りは、主なる神がどんなお方かを告白するところから始まった。さらに、権力による反対は、ダビデによる詩篇2篇で預言されていたことであり、神の知らないところで起ったことではなく神の計画であることを確認する祈りであった。さらに脅しの中でも、自分たちに神のみことばを大胆に語らせて下さい、イエスの御名によって癒しとしるしと不思議を行わせて下さいと願う積極的献身の祈りがあった。使徒4:24~30
(3)ペンテコステ(五旬節の日)に、弟子たちは他国の色々なことばで、主の十字架と復活と昇天と神の御霊の注ぎと、旧約聖書のみことばの実現を、聖霊に満たされ確信をもって(大胆に)語っていた。その背後には、使徒1:14~15や2:1から分かるように、心を一つにした信仰者の祈りが積まれていた。「彼らはみな・・・いつも心を一つにして祈っていた。そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集っていた。・・・五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。」
(4)バプテスマのヨハネの聖霊に満たされた大胆な宣教の陰に、両親である祭司ザカリヤと妻エリサベツの祈りがあった。参照、ルカ1:13~17。パウロの大胆な宣教の陰に、ダマスコ教会や獄中の時は全教会の信仰による献身的な祈りがあった。参照、使徒9:13~22,27、エペソ6:19~20
*兄姉と共に御言葉に教えられ心を一つにして祈り、福音を大胆に語る者とされましょう。