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牧師のショートメッセージ

「最後まで愛された」

田村誠喜 牧師    2022年3月


 「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、 ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを 愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」 ヨハネの福音書 13:1

   3月を迎え、寒い日はありますが、日差しに明るさと暖かさを感じ、春がそこまで来ていることを覚えてうれしく感謝しております。感染はありますが、教会としては、聖書の疫病等の感染の箇所から、自らの信仰の姿勢を悔い改めつつ、教会の贖い主であり、とりなしの主であり、再び来られる再臨の主を仰いでおります。

1、主イエスは、ご自分を「先生」と呼んで欺きの口づけをするユダに、「友よ」と語って悔い改めを迫った。
 イエスは、十字架につけられる日の9時間ぐらい前の真夜中に、エルサレム東側のゲッセマネの園で捕らえられました。三年余り一緒に伝道に歩き回り、苦楽を共にし、みわざを味わった会計のユダの銀貨30枚による周到な裏切りでした。それでもユダを友の中でも特別な「友」と言う不信仰を指摘し悔い改めを迫る言葉で呼んで愛を表しました。
マタイ20:13~15、しかし、主人はその一人に答えた。「友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。・・それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。」
マタイ22:11~12、王が・・・入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。王はその人に言った。「友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。」しかし、彼は黙っていた。

2、主は、ご自分を捕らえた人々に剣で切りかかり、耳を切り落としたペテロの不信仰と滅びを警告した。
 剣は、表面的には自分を守る武器です。しかし、主イエスは、剣の正体を、主イエスの力とみこころを知らない者の恐れであり、主以外のもの、すなわち偶像に頼る、不信仰そのもので、このままでは滅びると警告したのです。
マタイ26:51~54、すると、イエスと一緒にいた者たちの一人が、見よ、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」
ヨハネ18:10、シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。

3、主は、指導者から遣わされ、剣や棒でご自分を捕らえた人々に、彼らの不正と、神のご計画を語った。
マタイ26:55~56、また、そのとき群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。わたしは毎日、宮で座って教えていたのに、あなたがたはわたしを捕らえませんでした。しかし、このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書が成就するためです。」そのとき、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。
マタイ26:24~25、「人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

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