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牧師のショートメッセージ

「キリストの十字架から見えること」

田村誠喜 牧師    2022年4月


「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。 これは、『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』 という意味である。」 マタイの福音書 27:46

 4月からの新しい歩みは如何でしょうか。新たな気持ちで歩みを始めておられるお一人お一人に神の祝福をお祈り致します。教会は、4月で宣教50周年を迎えました。4月17日はキリストの復活を記念してイースター礼拝を献げます。

1、十字架に向かうイエスへの嘲りと侮辱は、ユダヤ人だけでなく、異邦人のローマ人たちも同じであった。
 十字架に向かうイエスを嘲ったのはユダヤ人だと考えがちだが、聖書は、異邦人を代表するローマ総督や兵たちも罪のないイエスを嘲ったと語っている。これは、イエスの十字架が私たち異邦人の罪をも負ったことを教えている。
マタイ27:26~31、そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。それから、総督の兵士たちは・・・イエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。

2、十字架上のイエスを見た、四種類(通行人、ユダヤ指導者、強盗、兵士)の人々は、同じようにののしった。
 十字架につけられたイエスを見た人々は皆「神の子なら、自分を救い、十字架から降りて来い」と嘲りののしった。これは、人々の罪の赦しの道が開かれ完成するのを妨げようとするサタンの叫びである。マタイ4:3
マタイ27:39~44、通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。 参照、 ルカ23:36~37

3、イエスは、私たちの罪をその身に負われ、神から見捨てられさばかれ、信じる者の救いが確かとなった。
マタイ27:46、三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
Ⅰペテロ2:24、キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。
Ⅱコリント5:21、神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
ガラテヤ3:13、キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。

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