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牧師のショートメッセージ

「裏切る者へのイエスの愛」

田村誠喜 牧師    2024年6月


 イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者が、 その人です。」それからイエスはパン切れを浸して取り、イス カリオテのシモンの子ユダに与えられた。ユダがパン切れを受 け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。・・・        新約聖書 ヨハネの福音書 13:26~27

 地区教職者会が奥多摩福音の家で開かれ、雨が上がった翌朝の山々の緑に目を奪われました。教会では、5月18日(土)、デュオフリーデン(ヴィオラとピアノ・村上信晴兄・理恵姉)をお迎えし、チャペルコンサートを開催しました。教会員と家族と友人と地域の方々は演奏を聴き、楽器のお話しと、お二人がどのように教会とイエス・キリストに出会ったかを伺い、喜びの時を過ごしました。翌日の19日(日)ペンテコステ礼拝で、ひとりの姉妹がイエスを自分の救い主と信じ、信仰を公に告白して洗礼に導かれました。

1、イエスは夕食の時、ユダの裏切りを知って、弟子たちの足を洗い、個人名は伏せ、その罪を指摘した。
ヨハネ13:10~11、イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「皆がきよいわけではない」と言われたのである。ヨハネ13:18
ヨハネ13:21、イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」

2、弟子が「それはだれですか」と尋ねると、主は「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です」と答えた。
 イエスはパン切れを浸して取り、イスカリオテのユダに与えられた。ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」 席に着いていた弟子たちで、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。ヨハネ13:26~30参照
 理由は、食卓の主人がパン切れを浸して与える行為が、その人をとても大切な方であると表明するもてなしであったので、席に着いていた弟子たちは、主が会計係りのユダに「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、「貧しい人々に何か施しをするように」とか、イエスが言われたのだと思っていた。同時に、イエスがパン切れを浸してユダに与える行為は、「裏切っているのは、ユダ、あなたです」とユダにだけ分かるように明言したものでした。
マタイ26:25、すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

3、イエスが浸したパン切れを、「ユダが受け取った」 ことの意味。
 ユダは、この夕食会以前に、ユダヤ人の祭司長たちや民の長老たちと相談し、いつイエスを手渡そうかと機会を狙っていた(マタイ26:3~5、14~16)。ですから、イエスが「わたしがパン切れを浸して与える者が、裏切る人です」と語られたことを踏まえて、自分の裏切りの罪を告白し、「パン切れを戴くのにふさわしくない者です」と言って、自分の裏切りの罪を悔い改める最善の時であったのです。しかし、ユダはそのチャンスを無視し、パン切れを受け取ったのです。聖書は、「そのときサタンがユダに入った」と語っています。主イエスは、その後もどこまでも「ユダ、口づけで人の子を裏切るのか」と問いただし、「友よ」と呼びかけ悔い改めの機会を作りました。
 黙示3:19~20、わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら・・・

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