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牧師のショートメッセージ

「祈りへの招き」

浜田文夫 牧師    2025年12月


エペソ6章18節-20節

 祈りを通して信仰が成長していくこともあれば、うまく祈れずに信仰が停滞してしまうこともあるのでしょう。祈りは私たちキリスト者の力にもなり、つまずきにもなります。どんなことばでもいいから自由に祈ってよいのだと教えられても、まことの神を全く知らなかった私たちは、神とぎこちない会話しかできません。一方で、話し好きのおしゃべりが一人でずっと神に向かって話し続けていられるとしても、それがそのまま祈っていることにはならないのでしょう。祈りが祈りになるには、祈りのことばというものがあるのです。それは神への私たちの信仰のことばなのです。それはどのようなことばなのでしょう。

 18節に「御霊によって祈りなさい」とあります。直前の17節には「御霊の剣」とあり、それを言い換えるように「すなわち神のことば」と書かれていました。「御霊によって祈る」ということも、「神のことば」と無関係ではないのだと言えます。「御霊によって祈る」とは、「神のことば」によって祈ることだと、言い換えることもできるでしょう。「聖書のことば」で祈るのです。聖書の中にはたくさんの祈りのことばが記されています。

 パウロ自身がこの手紙の3章14節以下で祈っています。そこで、「あなたがたが、すべての聖徒たちとともに、・・・人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」と祈ります。「そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」と祈っています。エペソの聖徒が、「すべての聖徒」とともに、キリストの愛を知り、神の豊かさに満たされることを祈っているのです。エペソの人々を含めたその「すべての聖徒のために」祈ることが、6章18節で求められています。その求められた祈りも、「すべての聖徒」がキリストの愛を知り、神の豊かさに満たされることなのでしょう。

 続けてパウロは、自分が「福音の奥義を大胆に知らせることができるように」と、祈りのリクエストをします。その「福音の奥義」とは、やはりキリストの愛を通して、神の豊かさに満たされる道が、すべての人に開かれているということなのだと言えるでしょう。

 その「福音の奥義」は、神が約束され、預言者たちによって預言され、クリスマスの日にお生まれになった主イエスによって実現されていくことになります。私たちはこの方の愛を知ることができるように祈り、また「大胆に」語るようにと招かれています。

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