牧師のショートメッセージ
「しるしが分かる時」
浜田文夫 牧師 2026年7月
ヨハネの福音書2章12節-22節
神殿でいけにえをささげて神を礼拝しようとエルサレムを訪れる人々への便宜を図って、「宮の中」では、いけにえの動物が売られ、献金のためにローマの貨幣をユダヤ人の貨幣に両替する場所がありました。しかし、それは金儲けと不正の温床にもなっていました。イエスはそれらを「わたしの父の家を商売の家にしてはならない」といって一掃されました。このことは他の三つの福音書にも記されていますが、いずれも、主イエスの最後の一週間のはじめに起こったこととされていて、イエスの死につながる出来事とされています。
それらの店を「宮の中」に出すことを許可していたのは、宮を管理していた祭司たちでした。ですからユダヤ人たちは「こんなことをするからには」、その祭司の権威にまさる権威があるという「しるし」をイエスに求めました。それに対してイエスは「この神殿を壊せ。わたしはこれを三日でよみがえらせる」と、「ご自分のからだという神殿について」語られます。それがイエスについての「しるし」となる、というのです。それはイエスの死と復活を予告することばでもありますが、同時に、イエスがエルサレムの神殿を中心とした犠牲祭儀を終わらせることをも予告するものでした。イエスご自身が、ただ一度ささげられたことによって、私たちが聖なるものとされるからです。それとともに、後にイエスがサマリアの女に言われるように、「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が」来ることをも予告していることになります。イエスはそのようにして礼拝のあり方を大きく変えられることになります。
けれども、この時、これを聞いた人々はイエスの言われたことを理解していません。弟子たちも「イエスが死人の中からよみがえられたとき」、はじめて「イエスがこのように言われたのを思い起こし」たのです。そして「聖書とイエスが言われたことばを信じた」といいます。しかし、聖書とイエスが言われたことばを信じるということは、「この神殿を壊せ」といわれた意味を理解することでもあります。イエスが「ご自分のからだという神殿について」、こう言われたのであれば、それは「わたしを壊せ」という意味でもあるでしょう。そして人間だれもが「イエスを壊す」ことに関わったということを知ることでもあります。イエスを殺す罪に自分が関わったと知ることなしに、「イエスがこのように言われたのを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた」ことにはなりません。私たちがイエスを殺す罪が分かる時、はじめてイエスの「しるし」とその意味を知り、それを信じることができるのです。
