Home

牧師のショートメッセージ

「この大能の力を」

浜田文夫 牧師    2025年6月


 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。 エペソ1:20-21

私たちは「使徒信条」のはじめのところで「天地の造り主、全能の父なる神」を信じると告白します。天と地を造られた神の全能の力が、どれほど強大なものであるか、私たちには想像もできません。けれども、自然の力や美しさ、不思議さを科学的に考える現代人は、この力を認めようとはしません。これは神の力に違いないと、だれもが分かるような奇跡でも起きない限り、神の力を認めないのかもしれません。  けれども、「神はその大能の力をキリストのうちに働かせ」た、とパウロは言います。そして、「キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かれせ」られた、と言います。キリストの復活と昇天は、この力によってなされたのです。

 この20節は、これに先立って19節で語られた神の力を説明することばです。19節にはこう書かれています。
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。 エペソ1:19

 ここには神の力を語るさまざまなことばが集中しています。体力を示す「強さ」、影響力を示す「勢い」、能力を示す「力」、力の大きさを表す「偉大さ」という意味を持つことばが出てきます。また「働き」と訳されたことばも、実際に活動している力を意味します。20節は、その力を神は「キリストのうちに働かせ」た、というのです。ですから、私たちが神のこの力を知るのは、キリストを通してであるということになります。キリストを通してでなければ、私たち人間は神の本当の力を知ることはできません。

 しかし、先の19節のことばは、その力が「私たち信じる者に働く」と言っています。それが「どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」と、パウロは願っています。それなら、どこで、私たちはその神の力が、「私たち信じる者に働く」ことを、そしてそれが「どれほど偉大なものであるかを、知ることが」できるのでしょうか。

 パウロは続けて22節で、神は「キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられ」た、と言います。
また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。 エペソ1:22

 ですから、私たちは、教会においてキリストをよみがえらせ、天に昇らせたこの神の力が「私たち信じる者に働く」ことを知り、また、その力が「どれほど偉大なものであるかを、知ることが」できるのです。教会はキリストを通して神を知り、神をほめたたえるところとして、私たちに与えられたのです。

前へ