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牧師のショートメッセージ

「呼び覚まされた信仰」

浜田文夫 牧師    2026年10月


ヨハネの福音書4章43節-54節

 「ある王室の役人」の息子が病気で、死にかかっていました。そこでこの人はカペナウムからイエスのおられたカナまで行って、来て息子を癒してくださるように願います。カペナウムからカナまで、歩いて10時間以上の道のりです。しかし、イエスは「あなたがたは、しるしと不思議を見ない限り、決してわたしを信じません」と彼に言われます。それはこの人の願いを拒絶したようにも聞こえます。しかし、イエスは彼に「行きなさい。あなたの息子は治ります」とだけ言われました。

 「その人はイエスが語ったことばを信じて」自分一人で帰って行きました。連れて帰るはずのイエスを伴わずに、一人で10時間かけて来た道を、再び帰って行きました。「あなたの息子は生きます」というこのことばが確かであるという保証は、どこにもありません。保証となるような「しるし」は、何も与えられません。この人は、来た道を手ぶらで帰るのです。ただ、「あなたの息子は治ります」と言われたイエスのことばだけを信じるのです。

 けれども、彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えにきて、彼の息子が治ったことを告げました。そこで、この人が、真っ先に尋ねたのは、生きている子どもの容態ではありません。「子どもが良くなった時刻」を尋ねました。そして「昨日の第七の時に熱がひいた」ことを知ります。「それは『あなたの息子は治る』とイエスが言われた時刻だと知った」というのです。イエスが「あなたの息子は治る」と言われたとき、すでに彼の息子は治っていたのです。

 この人が、それを知った時に思ったことは、自分が信じたこと、そして、自分一人、手ぶらで帰ってきた自分の判断は正しかった、というような自分の信仰に対する満足ではありません。自分の信仰を自画自賛するような話しを、家族に聞かせたのではないはずです。そうではなくて、イエスが「あなたの息子は治る」といった「時刻」に、自分の「息子が治った」ということであったでしょう。イエスのことばは、既に、それが語られたその時に実現していた、ということです。そのようなイエスの「ことば」の力と真実さに、「彼自身も家の者たちもみな信じた」のだと言います。

 聖書は、イエス・キリストの死と復活によって、私たちの罪が赦され、永遠のいのちが与えられたことを告げます。その事実は目に見ることができません。信仰によってそのことばを受け取るのです。そして、そのことばが確かであったことを、私たちは天に行ったときに知ることになります。

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