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牧師のショートメッセージ

「愛のうちに建てられる」

浜田文夫 牧師    2025年9月


エペソ4章11節-16節

13節に「一人の成熟した大人となって」とあります。14節は「こうして、もはや子どもではなく」といって始まり、15節は「成長するのです」といって終わります。ここにキリスト者として成長することが語られています。それは、成長するようにとの勧めでも求めでも、また命令でもありません。「成長するのです」というのは、私たちはそのようなものなのだ、ということを表していると言えるでしょう。

それは11節にあるように、「キリストご自身が」みことばを語る者たちを、教会に「お立てに」なったからです。それは「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため」だと言います。
そのために「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つと」なることで、「一人の成熟した大人と」(13節)なると言います。

さらに14節は、その「成熟した大人」であることが、消極的な意味と積極的な意味で具体的に語られています。消極的な意味では「人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略からでた、どんな教えの風にも、吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく」ということで、積極的な意味では「愛をもって真理を語り」ということです。ただ偽りの教えの嵐の中でじっと耐えて、嵐が過ぎ去るのを待つことができるのではなくて、こちらから「真理を」語ることができるのです。

これは、キリスト者としての個人的に成長するためなのではありません。個人的な成長はもちろん重要ですが、それによって「キリストのからだを建て上げるため」なのです。
16節に「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」とあるように、一人ひとりの成長は支え合う相手を必要としています。その相手とは、ただキリストによって招かれた、自分とは異なる人々です。その相手を「支えとして組み合わされ」て、教会は成長します。だから、「愛をもって真理を語る」のです。
人間はしばしば、自分は正しいことを語り、行っていると思っていることによって、人を傷つけます。そやって真理を語ることによって罪を犯します。人を生かし支えることに失敗しています。教会においても、そのようなことが起こります。それは真理ではないのだと言わざるを得ません。愛と真理は矛盾しません。真理であられるキリストは偽りである人間によって殺されました。真理は自分を守り、救うことをせず、神の愛を明らかにするために十字架の上で死なれました。キリストは愛と真理は一つであることを明らかにしたのです。教会は「あらゆる点において、かしらである」その「キリストに向かって成長」します。そして、「愛のうちに建てられることになります。」 BR>

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