牧師のショートメッセージ
「自由を豊かに生きる」
浜田文夫 牧師 2026年3月
出エジプト記20章15節
「盗んではならない」という第八番目の戒めは、単純明快な戒めのようでいて、その適応範囲は広くに及びます。ハイデルベルク信仰問答は、この戒めが何を禁じているのかを問い、「不正な重り、物差し、升、商品、貨幣、利息など」を挙げています。偽りの秤によって誤魔化すことも盗みとします。現代では個人情報から国家機密まで、様々な情報を盗むことも含まれるでしょう。
当時のイスラエルの民にとってこの戒めは、個人の所有物を盗むこととともに、人を誘拐することが念頭に置かれていました。出エジプト記21章16節では誘拐が死刑相当とされました。人間を盗んで商売とすることは、今日も世界のいたるところで、様々な形で行われていて、近年その数はものすごい勢いで増えています。それは一人の人間の自由を奪って、それで自分が利益を得ようとする試みです。しかし、このことは、明らかな犯罪行為に限りません。過酷な労働環境の中、多重労働やパワハラで心身に不調をきたし、個人の生活や家庭が破綻に追い込まれるケースも、私たちの身近にある問題です。そこでは人を、自分が利用するべき物としてしか見ていないのです。利益だけを最優先させる経済のシステムそのものが、盗みを生み出していると言えます。コロナ禍にみんなが普段の生活を自粛したら、経済はたちまちなりゆかなくなりましたが、一方で、世界の大都市の空気がきれいになりました。現代人の生き方を戒める象徴的な出来事とも言えます。
パウロは「満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」(ピリピ4:12)と言いました。それは欲望に支配されず、自由の中に生きることなのでしょう。
十戒は、はじめのところで、イスラエルの民が奴隷から解放された事実を示しています。神によって自由にされた、その自由をお互いが奪い合い、自分の利益のための手段として用いるのではなく、相手の利益を求めることを、この第八の戒めは教えているのでしょう。それはエペソの手紙が、盗みをしている者に盗みを止めて、「困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して」働くように求めたことに通じます。
Ⅱコリントに「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」とあります。キリストの富と貧しさを、私たちは知り尽くすことができないために、「富む者と」された自分の富に気づきません。だから私たちは繰り返し礼拝において、私たちのために死なれよみがえられたキリストに目を留め続けるのです。
