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牧師のショートメッセージ

「この方の栄光を見た」

浜田文夫 牧師    2026年5月


ヨハネの福音書1章9節-18節

 神はイスラエルの民が神のために聖所を造るなら、「彼らのただ中に住む」と言われ、また、そのようにして「彼らの神となる」ことを約束されました。イスラエルの民にとって、神が自分たちの神でいてくださることの保証は、神の宮に神が住んでくださることであり、それは神の栄光が、そこに満ちることによって確認されました。これはモーセが荒野で建てた幕屋で、またソロモンがエルサレムに建てた神殿で実現しました。しかしイスラエルの民が神を離れて生き続けたため、神殿はバビロンによって破壊され、民は捕囚となりました。もはや神は彼らのただ中に住まず、彼らの神であることをやめられたかに思われました。やがて捕囚から解かれてエルサレムの町と神殿を再建したイスラエルの民は、再び神の栄光が神の宮に満ちることを待ち望んだでしょう。それが、神が自分たちのただ中に住み、自分たちの神でいてくださることを保証すると考えたからです。けれども、その後、再び神の宮に神の栄光が満ちたということは聖書に書かれていません。
 やがて400年ほどして、時代は新約聖書へと変わります。ヨハネは「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と言いました。「ことば」とはこの福音書が1節から語って来た「神」のことです。「住まわれた」と訳されたことばは天幕を張るということばが元にあって、当時のユダヤ人たちは、このことばから、神が幕屋に住まわれた、と言っていることを連想したでしょう。それが事実なら、そこに神の栄光が満ちたはずです。ですからヨハネは続けて「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である」と証言しました。かつてモーセは神の栄光が満ちた幕屋に入ることができず、ソロモンの時代の祭司たちは、その栄光のゆえに宮で立って仕えることができなかったのですが、「この方の栄光を見た」と言ったヨハネは、続けて「この方は恵みとまことに満ちておられた」とだけ証言します。この「恵みとまこと」を知ることが、神の栄光を見ることとなります。
 ユダヤ人ではない私たちは、神が私たちのただ中に住まわれ、私たちの神となってくださるという約束を知りませんし、それを確かなものとするために、神の栄光を見ることを求めることも知りません。けれども、神が本当私たちのただ中に住み、私たちの神でいてくださることを、確かなこととできないなら、私たちの信仰はいつも揺らぐことになります。しかし、この方の「恵みとまこと」を知ることこそ、神が私たちの神でいてくださることの確かな保証であり、その「恵みとまこと」が主イエス・キリストによって実現しました。
 使徒パウロは「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(1コリント3:16)と言い、そこにキリストの「恵みとまこと」が満ちていることを明らかにしています。

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