牧師メッセージ、教会員の証
「私の弱さは希望に変わる」
私は44才の主婦です。20才の時に、人生に空しさを感じ、友達の教会を訪ねました。そこで、イエス様が自分の罪の為に十字架にかかられた事を受け入れて信じました。
元々の自分の性格を一言で言うと、絶望屋です。いつも自分の中で何かをあきらめては、がっかりしていました。自分の弱さ、罪深さにも嘆いていました。
10代の自分は、親や姉、友達の意見、情報を考えすぎて、細かい事に囚われて身動きが取れずにいました。青春のど真ん中でしたが、中年の辛口批評家のようでした。先の事を考え過ぎて、思い込み、物事が起こる前から悲観的な考えでした。ちょっとでも危険な雰囲気のある人(特に男性)や物事には決して近寄らず、危険が近寄ってきた時は必ず、「近寄らないで」と言う強い雰囲気を出して拒絶していました。
保守的で、怖がりなので、思い切った行動はとてもできませんでした。親や姉、友達から「いい子」と思われたい気持ちもありました。心の中には本当に自分のしたい事や、好きなことが、他人の望みや情報と混ざり、ごちゃごちゃになっていました。
思春期には「こんなことではいけない」とは思っていましたが、打開策がありませんでした。自信がないし、失敗もおそれていたので、自分の意見を言って一人で歩いてゆく勇気もありませんでした。なぜなら、自分はとても弱くて、普通の人が平気で歩く道も、前から沢山の小石が投げられているように思うのです。自分の弱さを補う為に人の意見や情報に頼っていたのです。それは失敗しても誰かのせいにすれば、自分は傷を負わずに先に進めたからです。 しかし自分で決断しない人生は、生きている実感がなく空しく思いました。
現在、神様を信じて20年位です。基本的な自分は変わらずですが、沢山変わったことがあります。 神様に見守られながら進む人生は、希望があります。自分の好きなこと、望むことを知る勇気も神様からいただきました。自分で歩くと失敗ばかりです。間違えたり、人を傷つけたり沢山します。 しかし神様に問いながら、祈りながら、希望を持って前に進む事ができます。世の中には経験しないと分からないことが沢山あるという事も知りました。つまずいて起き上がれない時も、時が来れば神様が力を下さるという信頼ももらいました。
普通の人がこらえて通る人生の苦難の時・・・、私の場合は、もしも神様が居なかったら、とても、とても超えられません。しかし、弱いからこそ、罪深い人間の為に、2000年前から神様が用意して下さっている、希望のイエス様を見つけられました。今では私の弱さも悪い事ばかりではないと思っています。
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(第Ⅱコリント8章9節)
我孫子福音キリスト教会員 S.A. 2013年9月