牧師メッセージ、教会員の証
「罪からの救い」
キリスト教の中心はイエス・キリストです。 そしてキリスト教信仰の中心はキリストによる罪からの救いです。 イエス・キリストの十字架とよみがえりを信じて罪から救われること、 これがその中心です。聖書は、イエス・キリストによる罪からの救いを教える本です。
「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを 受けさせることができるのです。 」 (新約聖書テモテへの手紙第二3章15節)
聖書はイエス・キリストによる救いを私たちに提供する書物なのです。 人間にとって最も大切なことは、この罪からの救いということなのです。
それでは聖書が教えている救い、 キリスト教でいう救いとはどういうことなのでしょうか。 普通一般でも救いということばは使われます。そういう場合、その意味するところは 貧乏や病気などの一般的に不幸だ、悲惨だ, と考えられているものからの解放を意味します。 しかし聖書が教えているキリストによる救いとは、 不幸とか悲惨とか言われるものの根本的な原因である罪とその結果からの解放、 これが聖書の教える救いということです。
それでは人間の不幸と悲惨の原因となっている罪とはいったい何でしょうか。 人間は本来、神様との交わりのできるものとして造られました。 しかし人間は、神様の命令に背き、自分勝手な道に進むようになったのです。 神様の命令に対する徹底的な反抗、それが罪です。 神様に対する意識的な反抗、あるいは消極的な無関心などに表われるこの自己中心が 聖書のいう罪です。
この罪の解決は、自ら罪を持っている人間には到底できないことです。 そこで神様は御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、 私たち罪人の代わりに十字架につけて罪のつぐないをしてくださったのです。 これがイエス・キリストの十字架の贖い(あがない)です。 これは私たちが罪から救い出されるために 神様が用意してくださったものです。 私たちはそれを自分の意思で主体的にこれを信じ受け入れる、 これが信仰ということです。 その時、私たちの罪は赦され、神様の子どもとされるのです。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、 神の子どもとされる特権をお与えになった。」 (新約聖書ヨハネの福音書1章12節)
我孫子福音キリスト教会 牧師 久保田周太郎 2014年1月