牧師メッセージ、教会員の証
「自己中心だった私」
昔、女房が行っていた伝道所に1か月ほど行った頃、「Tさん洗礼を受けましょう」と 牧師に「神さまを100%・そしてイエス様を信じますか」と言われ愕然とした。 私が「イエス様のことはよくわかりません」と言ったところ、 牧師「それではダメですね。」 私は言ってしまった。「そんならいいですよ!」洗礼?理解できなかった。
女房の心の友である方が銀座の教会に居た(後に副牧師)。女性。 又、銀座に連れていかれた。早天にも礼拝にも1人で行くようになり、 男の副牧師と2人だけでお話しの時がいただけた。 話の殆どが使徒信条から父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神のこと。 そして副牧師は言われた。 「この事が正しく神を信じる信仰の道であり私達の命ですよ。 証(あかし)を書いて前の牧師さんのところへ行ってお話ししなさい」と。 1978年、私49才、母82才、2人一緒に洗礼をいただけた。長い道のりだった。
私29才、女房19歳で結婚し今年で57年になる。 結婚当時、何から何まで私の世話ばかりする母のことで、女房に言われた。 「私とおばあちゃんとどっちが大切なの?」 すかさず私は言ってしまった。「親が大事なのはあたり前だろ!!」 その一言で女房の心に深い傷をつけた。胃を痛めいくつもの病院に何年も通った。 とうとう三井記念病院で手術をする日が決まった。 手術の10日ほど前に私は洗礼をいただいた。 受洗の日に病院の許可をもらって私の洗礼に出た。 涙の女房だった。病院に戻り手術の3日前検査をしたら多発性潰瘍が癒され 手術をせず薬治療でよいと病院で言われた。 私の受洗で2つもあった穴がふさがるとは、神様の奇跡に心から感謝した。
私もたくさんの病気をした。胃を半分切除、大腸癌で5年間治療、脳梗塞は2回。 2回目の脳梗塞の時、入院中の病室から前の病棟を見たらホスピス病棟だった。 十字架を忘れていた。屋上へ上がった。「ここから飛び降りたら?」 飛び降りられず、病棟へ戻った。 H牧師がこられていた。お祈りしてくださった。Sさんも来てくれお祈りして下さった。
「全て疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。 わたしがあなた方を休ませてあげます。」 マタイ福音書11章28節
やっと我に返った。
我孫子福音キリスト教会員 S.T. 2015年3月