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牧師メッセージ、教会員の証

「神様の愛の中で」



 すみれの花咲くころ~教会から天国へ旅立つ父を宝塚歌劇のO.B.や参列者が歌って送り出した。 私がまだ小さかった頃、父は歌劇団からモダンダンスの勉強にニューヨークに送り出された。 そしてクリスチャンになって帰国した。 叔父は学生時代にクリスチャンになっていた。20年前、阪神大震災の朝、 寝ていた彼の頭の上にたんすが倒れ掛かってきた。 その時飛んできた分厚い聖書が彼の頭を覆った。彼は助かった。

私は中学からミッションスクールに入れられた。毎日礼拝があり出席が義務付けられていた。 苦痛だった。日曜日の教会の礼拝も義務付けられていた。 ある時牧師さんが「洗礼を受けませんか」と言われた。 「神様のこと判りません。」と私は答えた。 「あなたがわからなくても神様はあなたの事お分かりです。」不思議な答えだった。 宗教として選ぶならキリスト教だろうと思い22才のクリスマスにクリスチャンとなった。

結婚して大阪から千葉に移った。1年後女の子が生まれた。 その1年2ヶ月後実家の大阪で男の子が与えられた。 退院後新生児はひどい風邪をひき、口からミルクを吹き上げていて、毎日お医者さんが 往診に来てくださっていた。 同じ頃、やっと2,3歩歩けるようになっていた上の子が突然顔面から倒れ、以後はいはいに戻った。 しかも体が片方に崩れるのだ。 お医者さんは「残念だが、脳腫瘍だろう。検査をしよう。」と言われた。悲しくて不安で、涙、涙だった。 その時、まだ聖書を読む習慣すらなかった私の心に (主は与え、主はとりたもう。主のみなは、ほむべきかな。)ヨブ1:23の聖句がわいてきた。 悲しみの中にあったが、生命は神様の支配にあるのだと思わされた。 1週間後、検査が終わるとほぼ同時にまるで何もなかったかのように、彼女は元に戻った。 今2人とも元気で家庭を持っている。 私は今70歳、いつからか聖書を読み祈るようになった。 色々な事があったが、いつも具体的に神様の助けと励ましを頂いた。 8年前に新しくなった教会堂の天井は吹き抜けで皆が歌う讃美歌が良く響く。 大正時代に作られたオルガンで私も伴奏している。そこで貴方とお会いできたらとても嬉しい。

父の部屋を片付けていたら、こんな彼の落書きを見つけた。 私も同じかなと思っている。

我孫子福音キリスト教会員  K.S. 2015年5月

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