牧師メッセージ、教会員の証
母・敦子の証
私の母に代わって、神様が母敦子にどんなに恵みと助けを与えて下さったかを書かせて頂きます。
母は1940年(昭和15年)富山県出身、79歳です。幼い頃、身体の弱い銀行員の実の父が戦後の取り立て等の過労で、大阪で亡くなりました。その後、子どもの頃ポリオによって身体に障害があった実の母がどうすることもできず、子どものいない東京に居る妹夫婦に母を養女に出しました。養父は真面目で学者肌な人で、主に水力発電所の巨大な発電機の据え付け工事をする会社を興しました。母は養父の会社の経理を手伝う為に、そろばんや簿記を学び、会社の経理として養父に対して従順に働きました。
私が生まれた時、父母と姉と私は、埼玉県蕨市の会社の寮に住み、母は寮母として働いていました。又山奥の現場から戻ったトラックから、大量の工具を倉庫に納める等、父母はいつも油まみれになって働いていました。昭和時代の会社には、非常に癖の強い工事屋さんたちばかりが働いていましたが、若い母はその人たちにも負けない位の強さを持って会社を支えていました。
私は幼い頃から内向的な人間で、父が近所の教会の日曜学校に、私(幼稚園年長)を励まして連れて行ってくれた時も、母は応援してくれていました。19才の私がキリストを救い主と信じる信仰に導かれた時や、教会の話等もいつも父母は喜んで聞いてくれていました。当時通っていた教会の牧師先生の司式で私と主人の結婚式をさせて頂いた時も、父母は心から喜んでいました。
3年程前から母の会話がおかしくなり、認知症の薬の服用を開始し、サポートを始めました。昨年は認知症の進行が早く、年末にふとしたことから「進行性核上性麻痺」という認知症の難病の診断が下り、3年前からそうだったのだろうという事が分かりました。
15年前、私たち家族が我孫子に引っ越して来てからは、こちらの教会のコンサートや、元旦礼拝、愛餐会にも母と一緒に来させていただきました。昨年からは教会の木曜日の祈り会に、母と一緒に通わせて頂いて、母も聖書の輪読に加えていただき、みことばに親しませていただいています。時々、田村牧師が「敦子さんは、敦子さんの罪汚れをすべて背負って十字架で身代わりとなってさばきを受けて、敦子さんの罪汚れきよめて下さったことを信じますか。」と尋ねてくれ、母は、「はい信じます。」とお話をしました。
2019年12月25日に、あまりに進行が早い事を思い、私は思い切って母に、「何もかも分からなくなる前にイエス様を信じましょうか」と言うと、母はイエス様を信じると言い、洗礼を受けたいと言いました。そしてヨハネの福音書3章16~21節を一緒に読んでお祈りしました。
2020年2月16日の礼拝の中で、母は田村牧師から洗礼を授けて頂き、神様の子どもとさせて頂きました。そして、毎週教会に通う事は母にとっても又、私にとっても喜びとなっています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネの福音書3章16節
救い主イエス様が、母・敦子を愛していて、救い主を信じるように、まず娘の私を先に信仰に導いて、この日を与えて下さいましたことを感謝しています。皆様のお祈りを感謝します。
「胎内にいた時から担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。あなたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきた
のだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」 イザヤ書46章3~4節
我孫子福音キリスト教会員 S.A 2020年3月2日