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牧師のショートメッセージ

他宗教をどう見るか


田村誠喜 牧師    2015年2月

「神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。  ・・これは神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら 神を見出すこともあるのです。」  使徒の働き17章25~27節

 先日、教会のある兄弟から 「キリスト教は、仏教やイスラム教など、他の宗教をどう見ているのか。」との質問を受けた。 これは、「キリスト者が、他の長い歴史ある宗教を信じている人々に、どんな態度を取るか。」と尋ねられた感じであった。

冒頭の御言葉は、パウロが偶像を拝んでいるアテネの人々に語った一部分である。 パウロは、他の偶像を信じる人々も、神のかたちとして創造され(創世記1:26)、罪のため、ゆがめられた部分は有りながらも、善悪や道徳や永遠の思い(ローマ2;15、伝道者3:11)が与えられていることを心に留めて語っている。

私たちキリスト者は、他宗教の人々も神の恵みの中に尚も生かされていることを心に留めて、彼らが何故、その教えを大切に信じるようになったかを聞く余裕と責任が与えられている。 他宗教とは言え、何を悲しみ、何を喜び、何を信じているかに耳を傾けたい。

そのためには、私たちキリスト者の御言葉による救いの確信が欠かせない。 ペテロは聖霊に満たされ「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4:12)と当時の国の議会で救い主の唯一性を大胆に語った。

同様に、主は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)と救いの唯一性を語った。 キリスト教は、上(神)からの恵みの救いですが、他の宗教は、下(人間)からの努力と行いによる救いを目指す道です。ですから私たちは神のことばである聖書に教えられ、 キリストによる救いを喜び、その上で他宗教の人々の声を聞きながら、私たちの生活と言葉によって証を続けましょう。

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