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牧師のショートメッセージ

良き信仰の遺産


田村誠喜 牧師    2015年5月

「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。聖書の預言はみな、人の私的解釈を 施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、 聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。しかしイスラエルの中には、 にせ預言者も出ました。あなたがたの中にも、にせ教師が出るようになります。・・」  新約聖書 Ⅱペテロの手紙 1:20~2:1

 私は1997年に東北地区から中関東地区の教会の牧師に就任し、リーベンゼラの宣教師たちとの 交わりが深められました。私が驚いたのは、ドイツのリーベンゼラの多くの宣教師が、既成の国教会 からではなく、聖書のみことばを事実通り神のことばと信じる(Ⅰテサロニケ2:13)福音的な信仰の 交わりとして、リーベンゼラの祈り会から派遣されていることでした。リーベンゼラの信仰者は、 午前の国教会での礼拝とは別に、午後や夕方にも集まって御言葉と祈りの時を持ち、 宣教師を派遣していると言うのです。宣教師たちは何も言いませんでしたが、 そんなに豊かではない人々の信仰のささげものによって派遣されている様子でした。

 ドイツは宗教改革の発祥の地です。16~17世紀にかけて、イギリスを含む北欧諸国と新大陸 アメリカにプロテスタント教会が広まり、様々な信仰基準や、教会組織も整えられて行きました。 しかし同時に大航海による大陸や島々の発見、自然科学の進展、産業革命等により大きな富が もたらされていくと、人間の知性や理性の万能が信じられる時代となり、合理主義や人本主義や ドイツ観念哲学が主流となりました。そして聖書は聖霊に動かされた人々が語った文字通り 神のことばと信じることは軽んじられ、18世紀後半から19世紀20世紀にかけては、聖書批評学のもと、 自由主義神学や文書資料説などが幅を利かせ、にせ教師の嵐が吹きました。

 私が信仰に導かれた1960年代、日本の教会に大きな二つの流れがありました。 一つは戦後、ドイツなどで自由主義神学を学んだ教師たちが帰国し神学校で教えたので、 そこから派遣されて行った伝道者や牧師は、聖書は誤りのない神のことばであり、 キリストの十字架と復活による以外に救いはないとの確信が揺らぎ、 教会は福音の宣教と証の力を失って行きました。 もう一つは、戦後、ドイツやイギリスやアメリカ、カナダ等で自由主義神学と戦い、 信仰復興(リバイバル)を経験した宣教師たちが日本の地で開拓伝道をし、福音主義の諸教会が 建て上げられて行ったのです。リーベンゼラ宣教団のもと、1972年に当教会が、 聖書は誤りのない神のことばであるとの福音主義を堅持していた宣教師たちにより始まったことを 深く感謝し大切にしましょう。

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