牧師のショートメッセージ
平和を生きる
田村誠喜 牧師 2015年8月
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、 神との平和を持っています。」 ローマ人への手紙 5:1
日本の夏8月は、平和を考える季節です。6日は広島に原爆が投下され、 9日は長崎に、そして遅すぎたのですが、ポツダム宣言を受諾し 15日に敗戦の宣言をしました。 今年は敗戦70周年の記念の年ということで、マスコミは記事や放送に力を入れております。 第二次安倍政権は日本国民を守るとの名目で、戦争が出来る国に、また他国の戦争に 巻き込まれる国となる法案を次々と国会に出しており、痛みを持って祈らされます。
戦争はいやです。それにもかかわらず誰が何のために戦争を起こすのでしょうか。 皆、自分たちの正義があり、自分たちが安心して豊かに生きて行くために戦っているようです。 私たちキリスト者は、戦争をして相手を倒してでも自分達だけは幸せに生きようとする考え方と 向き合わなければなりません。人間が、どうしてこのような考え方に陥ってしまったのか、 どうしたら、そこから解放されるのかを考える責任があります。
聖霊に動かされた預言者たちや使徒たちの語った「神のことば(聖書)」は語ります。 人間は神のかたちに似せて創造され、当初、神との関係も、人との関係も、自然との関係も、そのすべてに 美しさや感動や調和がありました。しかし、人間が神を裏切り反抗と不服従、神からの逃避を始めた時、 まず、神との平和は壊れ、人間の横の関係のすべてが壊れ、自然界も弱肉強食の世界に変り果てました。
人間は富と権力を求めて飽くなき争奪戦を繰り広げ、益々虚しく寂しく暗くなっています。 その虚しさや暗さを忘れるために、目の前の肉欲や名声を求め、占いや偶像に走っています。 日本も古来からの文化の復興を名目に、偶像の祭りが人々を豊かにするかのように宣伝します。 欺かれてはなりません。いのちの源である主なる神との平和の関係こそが根本的なカギです。
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、 ご自分の肉において敵意を廃棄された方です。このことは・・・十字架によって神と和解させるためなのです。 敵意は十字架によって葬り去られました。」 エペソ人への手紙 2章14節~16節
私たちは、自分たち人間の力や、武力や、成功や、名声や困難に動かされることのない、 主の十字架と復活による赦しと永遠のいのちから来る「神との平和」を確認し、 争いや憎しみのあるところに神の平和をもたらす者とされましょう。