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牧師のショートメッセージ

喜んで主をお迎えするクリスマス


田村誠喜 牧師    2015年12月

イエスは言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。  ルカの福音書 19章5~6節

 クリスマス、おめでとうございます。 ひとり子の神が、私たち罪人の救いのために、この罪の世に来て下さったことを感謝します。 私たちキリスト者は、すでにイエス様を自分の救い主としてお迎えした者ですが、クリスマスの季節に、 自分の生活のただ中で主をどのようにお迎えし、交わりを持っているかを考え確認することは大切です。 私たちの内には、救い主を喜んでお迎えするのに妨げとなっているものはないでしょうか。

【不信仰を悔い改めて主を迎えよう】

 旧約の預言者アモスの時代(BC760年頃)、北イスラエルは周囲からの侵略もなく、平和で経済的にも豊かで、 人々は町で礼拝をし、献げ物をしていました。しかし、人々は豊かさの中で異邦人たちの風習を取り込み、 公義を捨て、社会には賄賂や暴虐や殺人が横行していたのです。 そして、真の預言者がいるエルサレムでの礼拝は避けていました。 主は、南から遣わした預言者アモスを通して、北イスラエルの人々に「悔い改めて主に会う備えをせよ」(4:12) と叫びました。 主は、現代も豊かさの中にある私たちに、忍び込む不信仰を悔い改めて主を迎えよ、と語っています。

【心を空しくして主を迎えよう】

 主がエルサレムに入場する時、「ホザナ、ホザナ」と賛美しながら主をお迎えした群衆が、 5日後には、「主を十字架につけろ」と叫びました。 群衆は初めから、イエスをローマからの政治的な解放者として歓迎していたのであって、 人々の罪を負い、無残な姿になる贖いの主を待ち望んではいなかったのです。 現代の私たちは、自分の都合の良いことをしてくれる救い主を待ち望むだけなのだろうか。 私たちも、主イエスの母マリヤのように 「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞ、おことば通りこの身になりますように」(ルカ1:38)と、 心を空しくして、栄光のために救い主をお迎えしましょう。

【多くを赦された者として、積極的に主を迎えよう】

 シモンはパリサイ人でありながら、自分の家に主をお迎えしたのですが、客人イエス様の足を洗う水を準備せず、 洗うこともしませんでした。ところが町の罪深い女が、涙で御足を濡らし自分の髪の毛で御足を綺麗にし、 主の頭に香油を注ぎました。 主はシモンに「この女の多くの罪は赦されています。と言うのは、彼女は多く愛したからです。 しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(ルカ7:47) と教えました。私たちも無限に赦された者として、感謝をもって主をお迎えしましょう。?

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