牧師のショートメッセージ
キリストの復活は真実か
田村誠喜 牧師 2016年3月
御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、 大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。 新約聖書 ローマ人の手紙 1:3~4
キリストの復活は、キリスト教信仰の根本ですから、歴史的な三つの証拠を 注意深く調べ考えることを通し、キリストの復活によって信仰の確信を持つことが出来ます。
1.復活の主を直接に目撃した人々の証言
使徒とされたヨハネは、キリストが復活された日曜の出来事を順序よく語り、
夕方、恐れ隠れていた自分たち弟子のところに、
復活の主が現れた様子を証言しています(ヨハネ20章)。
また使徒とされたマタイも、キリストが復活された日のことと、
ガリラヤで礼拝した様子を語っています。
使徒パウロは、AD56年頃書いたコリント人への手紙で、復活の主に直接にお会いした人々
(ペテロ、十二弟子、一度に500人以上の人々、ヤコブ、再び十二弟子、そしてパウロ)について語っています。
20年余り経過した当時、500人以上の人々の大多数が生き残っていたのです。(Ⅰコリント15:3~8)
2.空っぽの墓は、弟子たちと反対者たちによって確認済み
復活の主にお会いし神の聖霊を注がれた弟子たちは、
「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
あなたがたはこのイエスを十字架につけたのです。」(使徒2:32、36、4:10~12))と大胆に語り続けました。
イエスを十字架につけるために奔走したイスラエル当局者は、十字架と復活を宣べ伝える弟子たちを捕え留置し、鞭を加えて二度と語らないように脅し続けました。弟子たちは、復活がなかったのに復活したと偽証して
神を侮っていたのでしょうか。
もし本当に復活がなければ、キリストのからだは墓の中に残っていたはずです。そして当局は、復活を宣べ伝える弟子たちの前に主の御遺体を持ち出して、主の復活の宣教は嘘だと否定したことでしょう。
しかし主の葬られた墓は空っぽだったので、当局にはそれが出来なかったのです。
3. 私たち信仰者のうちに生きて働いておられる復活の主
もし主の復活がないのに、主の墓は空っぽだと仮定すると、誰かが主の御遺体を盗み出したことになります。
弟子たちが盗み出したのでしょうか。当時の弟子たちは、師であるキリストの十字架の死刑によって
失望と恐れの中で震えており、ご遺体を盗み出す計画の実行など考えられない状態でした。
もし盗み出しに成功したとしても、復活を宣べ伝え拷問や殉教などの中、喜んで大胆に前進する姿を
説明することはできないのです。イスラエル議会は、ペテロとヨハネとの大胆さを見、
また二人が無学な、普通の人であるのを知って、二人がイエスとともにいるのだと言うことが
わかって来たのです。
復活の主によって、臆病者が英雄に、逃亡者が使徒に変えられたのです。(使徒4:13)