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牧師のショートメッセージ

実を結ぶぶどうの枝

田村誠喜 牧師    2021年1月


「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」 ヨハネの福音書15:5

 2021年をどのようにお迎えでしょうか。当教会は、元旦礼拝で「実を結ぶ ぶどうの枝」と言うみことばで一年をスタートしました。なぜなら、主なる神が、新型コロナウィルス感染拡大の中で、色々なことを止めて、静まって、主であるお方を深く知るように(詩篇46:10)命じておられる、その時と確信が与えられたからです。

1、主が、ぶどうの木の枝について話したのは、何のためか。
 ぶどうの木の枝として結ばれた私たち信仰者が、ぶどうの木であるキリストにとどまって多くの実を結び、主の喜びに満ちあふれ、御名があがめられ、神の栄光となるためです。
ヨハネ15:7~8、あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。 
ヨハネ15:11、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。

2、わたしの父は農夫で、わたしの枝が多くの実を結ぶように手入れをしています。
 農夫である父なる神が、みことばによって取り除きや刈り込み、すなわちきよくする御業を進めてくださる。私たちの日々の生活や礼拝や交わりの時に、刈り込みがなされるのです。
ヨハネ15:2~3、わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込み(きよめ)をなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいの(刈り込み済み)です。
Ⅰペテロ1:7、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

3、ぶどうの木に支えられている、枝である私たちのすべきこと。
 ぶどうの木である主が、実を結ぶのに必要な栄養も、天からの雨も太陽も、すべてを与えていて下さる。それでもなお私たちが、感謝と信仰をもってとどまり続けることが命じられている。15章前半に12回出ている「とどまる」と言う言葉には「住む」とか「生きる」という意味がある。私たちが、豊かな実を結ばせ喜ばせて下さる主との豊かな交わりのうちに住み、主とともに生きることが大切である。
ヨハネ15:4、わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
使徒18:3、自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。
ヨハネ21:22~23、わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだ・・・

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