牧師メッセージ、教会員の証
「常に導いて下さる主」
私は、教会に導かれて10年になります。振り返りますと神さまはいつも側にいて下さり、導いて下さっていたことがわかります。私は、21歳の時、大学の友人に誘われて初めて教会に行きました。その頃キリスト教は漠然と自分には関係のない世界だと思っていました。感銘を受けた三浦綾子さんの本に出会ったのも丁度その頃でした。
しかし、関係がないと思っていた私が24歳の時に再び教会へ行くことになります。それまでは高校も大学も順調に進み、就職し、私は、普通に良い人生になると信じていました。それが24歳の時に自分ではどうしようもない事が起き、初めて挫折を経験しました。その夜、一人布団の中で「何でこんな風になってしまったのだろう。明日からどうやって生きていけばいいんだろう。」と考えていました。直感で両親や、友人に話したとしても何の解決にもならないとわかっていました。客観的に助言をしてくれる所を探さねばと思いました。そして、ひらめいた所が「そうだ教会に行こう。牧師先生に話したら何とかなるかもしれない。」でした。翌朝、電話帳で教会を調べ、電話をかけました。二つ目にかけた教会が家から近く、30分だけならお話を聞きますよとのことでした。結局3時間近くその牧師先生は話を聞いて下さいました。そして日曜日にまた来なさいと言って下さいました。それから私は、毎週教会に行くようになりました。私にとっての教会は、泣く場所でした。讃美歌は聴くだけでした。涙がこぼれ、歌えませんでした。初めて電話をかけた時に取り次いで下さった女性が、礼拝前にポンと肩を叩いて「祈っているから。」と言って下さいました。何のことかわからなくとまどいました。徐々にその方たちから祈ってもらったり、励ましてもらったりしました。教会に行けば事態は好転するかと期待がありましたが、目先の解決は神さまのご計画ではありませんでした。教会に通い始めて10ヶ月後、さらに事態は悪い方向へと向かうことが起きて、落ち込み辛く苦しい時期が続きました。同時に神さまを求め、聖書のことばを信じたい、明るく前向きに生きたい、変わりたいと思い、神さまに一生懸命叫んでいました。
その後、ある礼拝で牧師先生が「心の叫びをイエスさまはすでにご存じである。あなたは礼拝に来て私に何をしてほしいのか?イエスさまは言う。本当に治りたいのかと。」と語って下さいました。心から私は「心の平安がほしい。虚栄心を捨てたいです。イエスさま、治りたいです・・・。」と叫んでいました。そして、人生も教会生活も色々とあり10年が過ぎました。今は、あの頃の思いと全然違います。神さまはその都度その都度、一番必要なものを与えて下さいました。支えて下さいました。自分でも人でもなく、唯一正しい見えない神さまが、私に頼りなさいと教えて下さっています。寂しがりやで、様々な事を親の責任にし、周りの人が私の心を傷つけると考える、そのような自分であることに気づかされました。そのような私でもイエス様は愛して下さり、赦して下さり、しっかりしなさいと言って下さっているのが分かります。イエスさまにこれからも付いて行きたいと思っています。
貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。 いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。ルカの福音書6:20~21
我孫子福音キリスト教会員 M.M 2010年09月