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牧師メッセージ、教会員の証

「神様が働いています」



 私が、洗礼を受けたのは、40歳のときです。それまでの私は、キリスト教とは全く縁のない家に育ち、信仰に関心を持つことはありませんでした。むしろ、宗教があるから紛争が起こるのだ、自分が信じるものが絶対など、随分思い上がった考えだ。そんなことを思っていました。

 そんな私が信仰に導かれたのは、職場で遭遇したある試練が端緒でした。家に帰るとホッとするが、翌朝には気が重くなる。週末にはホッとするが、日曜の夜には気が重くなる、こんなことの繰り返しでした。ストレスで食が細くなり、体重が10キロ近く痩せました。病院で内視鏡検査も受けました。いっそ病気が見つかってしばらく入院したい、という思いもよぎりましたが、幸か不幸か軽い胃炎という診断でした。

 心配した妻に、牧師に会うよう促されました。妻は、近所のクリスチャンの方との交わりを通じて、2年前に洗礼を受けていました。会うことは会いましたが、最初は、苦しいのにやせ我慢をして、宗教があるから紛争がある等とひとしきり持論を主張しただけでした。それでも、信仰への関心が微かに芽生えたのでしょう。本屋で三浦綾子さんの「光あるうちに」が目にとまり、買って読みました。「イエスの復活が事実でないなら、イエスの弟子が殉教も辞さないほどに強く変えられたはずがない」といったことが書いてありました。イエスの復活の話は一応知っていましたが、深く考えたことはありませんでした。その年の年末に牧師と再び会いました。やせ我慢も限界が来ていて、正直に自分の悩みを話しました。牧師からは「神様が働いています」と言われました。その時はよく理解できなかったのですが、何となく促されるものがあり、年明けから、妻とともに教会に通い始め、その年の3月、私は洗礼を受けました。

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。誰でも、私の声を聞いて戸をあけるなら、 わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3.20)

 「神様が働いています」と言われた意味が今はわかります。私が試練に遭遇し、牧師に出会い、という一連の流れは全て神様の摂理の中にあった、40年間神様を無視してさまよっていた私を連れ戻すために神様が働いていたと思います。その神様が、宇宙を創り、地球環境を生き物が住めるように絶妙に調節し、私たちを作った・・私のような、自信満々とは言わないまでも、仕事も家庭もそこそこ順調、神様のことなど考えたこともない、といった者も、神様は変えることができます。神様はすべての人の戸をたたいています。

我孫子福音キリスト教会員 T 2011年11月

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