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牧師メッセージ、教会員の証

理科系で疑り深い私が信仰に導かれるまで



 私は地元の大学を卒業後、関東の会社に就職しました。 就職して親元を離れたことと、給料を手にしたことで「今までは臆病だったが、人生に悔いがないように色々とチャレンジしてみよう。」と仕事、趣味、旅行などに打ち込み、常に成長を感じ、楽しい日々でした。一方、資源、エネルギーを使う生活を楽しみながら「どのような科学技術でも地球の破壊は遅くはできても止められず、いつかは問題が起きてくるのだろう。」と漠然と感じて生活をしていました。

 しかし、35歳を過ぎたあたりから年齢からくる体力、立場の変化、生活でも色々とあり、そして仕事や趣味での成長が感じられなくなり、仕事や趣味に時間を費やし経験を積んでいくだけの人生に虚しさと焦りを感じてきました。そして、この心境で歳をとり肉体が衰えたら今まであった自信は地に落ち、仕事も生活も耐えられないだろう、この状態で死んだらどうなるのだろうと、死ぬまでの人生と死んだ後のことが怖くなってきました。また、生活が楽しいために見ないようにしていた地球環境が壊れ行くことに目が留まるようになり、壊れ行く地球で生きる意味を問い、どうせ壊れるのなら早くこの世から消えたいと願いました。しかし、一方で生きている実感を得たい気持ちがあり、心が渇いた状態で仕事や趣味により一層打ち込み、また、次の世代が壊れる地球で過ごすのかもしれないが結婚はしたいという気持ちが心の奥底にある状態で数年続きました。

 私の言葉の端々から悲しみを感じたのか、私の父から近所のプロテスタントの教会へ行ってみたらどうかと提案されました。そして、日曜日に現在所属している教会の礼拝に通い、礼拝外に牧師に疑問を質問し、学びや参考図書、教会員との交わりを通して、すべてが解決した訳ではないのですが、それから3年後には死は概ね怖くなくなり、心は潤い、生きる力が漢方薬のようにじわじわと湧いてくるようになりました。

 今では死ぬまで成長をすることができるという実感、喜びがある毎日です。そして、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」などの聖書の御言葉に安心して、子供も与えられました。(地はいつか分かりませんが壊れる時が来ます、との御言葉もあります。)

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(Iペテロ2:2)

我孫子福音キリスト教会員 M 2011年8月

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