牧師メッセージ、教会員の証
「思いきってドアを開ける」
子育て・・・悠久の昔から誰もがやってきたことですが、いざ、自分が子育てをする時になると、その荷の重さに驚くものではないでしょうか。 私は25年前、男の子と女の子の双子を授かりました。いきなり二人の人間の母親になった私ですが、手探りで自分の母親の助言や育児雑誌のアドバイスなどでやってきました。しかし成長するにつけ、母の助言にも限界はあり、偶然手にした育児雑誌を鵜呑みにしていいものか、という不安にかられてきたのです。 私は幼稚園、中学、高校をミッション系で過ごしました。キリスト教の知識があったので、自然と子育ての基盤を聖書におきたい、と考えるようになりました。子どもたちの幼稚園も、教会付属を選びました。しかしいわゆるキリスト教主義、であるに過ぎませんでした。 子育てを通して知る、自分の力ではどうにもならない、大きなものの存在・・ このまま自分だけを頼りに生きていくことなんてできるだろうか・・・ そんなことで悶々とし始めたころのことです。幼稚園の母の会で牧師先生のお話を聞く機会がありました。この聖書の箇所を読みました。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」 黙示録3章20節
神はいつでもあなたのドアの向こう側で待っていてくださる・・・ という2000年前からそこに書かれてある私のためのメッセージ。 私には聖書がそう訴えていました。そこにもう一言パンチが加えられたのです。 そのドアのノブはあなたの方にしかついていないのよ。 向こうからは開けることができないの。開けるのはあなたなの。 その時一瞬でしたが、母の会の会場だった教会の礼拝堂、人でごった返す中に、はっきりとドアが見え 私がドアを開けている図が見えたのです。 私は思いきって、ドアをあけ、信仰の道に飛び込みました。 そのまま前に向いて進んでいる信仰の道に後悔はありません。
我孫子福音キリスト教会員 N 2011年3月