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牧師メッセージ、教会員の証

「創造の神」



久保田周太郎

聖書が何よりも先に示しているのは、神の創造のみわざです。聖書を開きますと、その開巻第1頁に、

「初めに、神が天と地と創造した。」(創世記1章1節)

と書いてあります。「創造」(クリエーション)ということばは、何もないところから「根源的に造り出すこと」を言います。何か材料があって、神がそれを用いて世界を造られたというのではありません。神は何もないところから、今までなかったものを造られたのです。これを「無よりの創造」と言います。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(へブル11章3節)

ですから「創造」は、神だけがなさることのできる神のみわざなのです。有限な人間には、ある材料を使って、加工して、独創的(オリジナリティー)な、ある物を作り出すことはできても、何もないところから、今まで存在しなかったものを創造することなどできないのです。人間は創造主である神によって造られた被造物なのです。神と人間とは全く質的に違う存在なのです。日本人の神観では、人間と神が同じ線上につながります。人間が神になってしまうのです。しかし聖書が教えている神は、人間とは質的に全く区別されたお方なのです。人間を含むすべての被造物とは比較にならないほど偉大なお方なのです。

この世界は、神がご自身のご意思に基いて造られました。ですからこの世に存在するすべての被造物には、その存在の理由と目的があるということです。神が何のお考えもなしに無目的に気まぐれで、この世界をそしてその中のすべてのものをお造りになることなどあり得ないからです。神を創造主と仰ぎ、自分をこの神の意思によって造られたものと認めるなら、私たちは無目的に無感動に生きられるはずがありません。どんなに苦しいことの中にも、人生のどん底、行き詰まりの中にあってさえ、私がそこに存在している理由と目的を信仰によって見出すことができるのです。

神がこの世界とその中にあるすべてのものを創造されたということは、そこに神のすばらしさが示されているということです。神がこの世界をお造りになった時、それをご覧になって、

「それは非常に良かった。」(創世記1章31節)

と言われました。これは創造のすばらしさが示されているということです。これは創造のすばらしさと完璧さを言い表わしています。神が世界とその中に満ちているすべてのものを創造されたご目的は、ご自分の栄光を現わすためです。創造の目的は神のご栄光以外にはありません。

しかしそのご栄光は、同時にすべての被造物がその造られた神のご目的にかなった生き方をするためであり、そしてそれを神様が喜んでくださるためであったのです。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19章1節)

2011年1月

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