牧師メッセージ、教会員の証
「私を創ってくださった神」
1982年10月31日、私は生まれて初めて教会の門をたたきました。私は、茨城県に生まれ、教会とは全く無縁の環境に育ちました。転機は三浦綾子さんの本でした。当時私は、OLとして働いていました。ある時、職場の検診で肺に陰があると言われ数ヶ月休んでいました。青春真っ只中、公私とも忙しい毎日でした。
私は、はたと人生について、生きるとは何か、生きる目的は何だろう。命とは何と考えました。そんな時、ある友人が、こんな事を手紙にしたためてくれました。「長い人生(二十数年ですが)歩んできて、ちょっとここらでひと休みもいいんじゃない?」と。 そして、わたしは、大好きな本を読みあさりました。その中に、三浦綾子さんの本、特に「道ありき」三部作の中の一冊が私の心を捉えました。『光あるうちに』の中の次のようなひとこまに目がとまりました。砂糖を全く知らない人に、雪のように白くて甘くてさらさらしていてと言っても、なめてみないと味はわからない。キリスト教も同じです。と言うような内容の一節がありました。そして、キリストって何だろう。私はキリスト教の味が知りたい。とそう思い、岩井キリスト教会を訪ね、出席させてもらいました。神社、仏閣、人が造った神とされているあらゆるものに頭を下げ拝み、生きてきた人生から、天地万物を創り、この私をも創って下さった唯一絶対の神がいるなら信じてみようと思いました。1984年9月15日、今は亡き先輩の友人に誘われて、取手教会にいらした本田弘慈先生の伝道集会での招きに、イエス様を信じる決心をし、翌年のイースターに洗礼を受けました。
考えれば考えるほど、神様のご計画は不思議なもの、有限の人間の知恵ではわからない大きな計らいがあります。その後、結婚し、千葉県に引っ越して来ました。たくさんの歩みの中で、模索しながらも、今のこの人生を歩んでいます。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、 あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(旧約聖書 エレミヤ書29:11)
我孫子福音キリスト教会員 K.K 2010年11月