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牧師メッセージ、教会員の証

「神を知るには」


「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の 創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認 められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(新約聖書・ローマ人への手紙1章20節)



 神を知るには、どうしたらよいのでしょうか。それは神が、ご自分のことを自己紹介しているものによって知ることができます。少し難しいことばで言うならば、神を知るには神の側からの啓示、すなわち神の自己啓示による以外はないということです。分かりやすく言うならば、神の自己紹介と言ってよいでしょう。

 それは二つに分けられます。一般啓示(自然啓示)と特別啓示(超自然啓示)です。一般啓示というのは、例えば自然界の様々な現象、あるいは法則の中に、それを創造された神が、ご自分を自己紹介しているというものです。自然の美しさ、そして不思議さを知れば知るほど、その美しさと驚くような秩序に目を見張るしかありません。人間がそうしたのでしょうか。決してそうではありません。人間はそれをただ発見して驚異の目を見張っているだけです。

 そして神を知ることができるのは自然界だけではありません。私たちの持っている良心もまた神を紹介しているのです。良心は、神の道徳的な性格を表わしています。これはこのような道徳を制定された神がおられるということを証明しているのです。しかしすべての人は罪を犯しており、そのために霊的に目が曇らされているために、神の真理を曲げて受け取ろうとする傾向を持っています。

 ですから一般啓示だけでは正しく神を理解することも、また罪に陥った人間が救われるにも十分ではなかったのです。一般啓示によって、神の善と知恵と力と言ったものをある程度知ることはあっても、罪からの唯一の救いの道であられるイエス・キリストについて知ることはできなかったのです。

 そこで神は特別な方法で、私たちにご自分を紹介されたのです。その紹介を記したのが旧約聖書と新約聖書、合わせて66巻の聖書です。旧新約聖書66巻の神のみことばよる啓示、これこそが特別啓示の重要な中心です。

 聖書が一般啓示に対して、特別啓示と呼ばれているのは、ただ自然が美しいとか、すばらしいとか、不思議だとかだけでなく、そこに住む人間の悲惨さ、惨めさをも伝え、さらにはなぜそうなったのかについても、そしてどうしたらその状態から救われるかについても、はっきりと私たちに知らせているからです。

 聖書の重要性は、実にこの点にあるのです。その聖書によらなければ、私たちはイエス・キリストによる救いの道を発見することはできないのです。

我孫子福音キリスト教会 牧師 久保田周太郎  2012年1月

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