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牧師メッセージ、教会員の証

「私が弱いときにこそ、私は強いからです」


 私は、京都市で生まれ育ちました。両親、祖母、妹、弟の6人家族で、ごく平凡な家庭でした。祖母は、幼いころから私のことをとてもかわいがってくれ、家に母が2人いるような、そんな感じでした。それは、私が結婚をして、千葉県に住むようになってからも同じでした。慣れない土地で子育てしている私のことをいつも助けてくれる、そのような祖母でした。

 祖母の目が見えなくなってきたのは、私の2人の息子たちが小学5年生、3年生になっていた頃のことです。日常生活が大変になり、気持ちはこちらに来たいのですが、一人では来ることができない。一人では何もできない。そんな思いで祖母は落ち込んでいました。でも私はすぐに行動しませんでした。それから祖母は私に会うこともなく、亡くなりました。

 私はその時とても後悔しました。あんなに私のために、家族のために、尽くしてくれた人のためにどうして私はすぐに行動しなかったのか?子どもたちの学校が、家のことが、と、いろいろと理由をつけて、何もしなかった自分のことがすごく嫌でした。今までも私は、しんどいことや、面倒なことからいつも逃げていました。今までもその自分の弱さやずるさに気づいていたはずです。今まではそういう自分に蓋をして、気づかないふりをしていたことも。今回の祖母のことは、私の心から離れませんでした。

  友人の誘いで教会の婦人の集会に初めて参加し、イエス様のことを知りました。自分の弱さや、ずるさ、罪についても考えました。そして私のこの弱さやずるさ、罪のためにイエス様が十字架にかかってくださったのだということもわかりました。

 そして、2002年の12月に受洗の恵みにあずかることができました。

 受洗して約9年が経ちますが、ここ1年は、試みの中にあるつらい1年を過ごしました。そんな中にあっても、いつも主は私と共に歩んでくださいました。いつも主に祈り過ごすことができました。祖母の死を通して、私がどのように歩むべきか、主がいつも示してくださいました。感謝しています。

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」IIコリント12:9

我孫子福音キリスト教会会員 K    2012年3月

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