牧師メッセージ、教会員の証
「人生には宗教が必要だ」
私の両親は無神論者でした。戦後の混乱期に物心ともに多くのものを失い、 何も信じられなくなったのだと思います。そんな家庭で育った私は親の影響もあり 宗教は気休めにすぎず弱い人がすがるものだと思っていました。
銀行に入社すると同じ部に何となく自信ありげで強気な青年がいました。 後に夫となりました。結婚して間もなく、その人の口から「人生には宗教が必要だ。」 という言葉を聞いた時は本当に驚きました。「人はどこから来てどこへ行くのか。環境 に左右されない真の平安とは何か。その答えは本物の宗教にある。」と言うのです。 確かにその疑問は考える意義があるかも知れないと思いました。 夫と近くの教会に行き、ある日、次の聖書のみ言葉に触れました。
「人は心に自分の道を思い巡らす。 しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」箴言16:9
両親の数奇な生涯を思うと、人生は自分の努力や才能によってのみ築けるもの ではないと感じていました。ですから、人知を超えた存在、 つまり創造主である神によって導かれていると書いてある聖書に興味を持ちました。 また“真の平安”とは究極的には「死」の恐怖を超越したところにあると思いました。 「イエス・キリストを信じる者には永遠の命が 与えられる。」と聖書にあります。 十字架のイエス様の“死”は私の罪の身代わりで、その贖いによって私は永遠の命 を得たと確信し、告白することにより救われるとあります。
しかし、正直なところ聖書はあまりに壮大で理解に苦しむ点も多々ありました。 迷いましたが、十分理解できるまで待っていては何年先になるか分かりません。 人は誰でも明日の命の保証はありません。聖書には永遠の命を下さると明確に書 いてあるのなら先ずはその通り信じて、それから徐々に学び、もしどうしても 納得できなかったら、信仰を止めればいいと考えました。
今から35年前、夫と同じ日に洗礼を受けました。 誠に稚拙な考えでしたが、このような者をも救いへと導いてくださった 神さまの深い愛と背後での多くの執り成しの祈りに感謝するばかりです。
我孫子福音キリスト教会員 K.F. 2013年3月