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牧師メッセージ、教会員の証

「見えないものに目を注ぐ」


 私の生まれ育った家は祖父の代から熱心な仏教徒で、私は小さいころから、 仏壇に向かって手を合わせ感謝することを教えられました。

 高校生の頃から幼稚園の先生になることを目指して勉強し、大学の教育実習で、 「教会学校に行ったら勉強になるよ。」と教えていただき、 それから教会に通うようになりました。

 30年前の夏、教会の人たちと小豆島へ。 船の上から見る青い空、青く深い海、白い雲、遠くの島の緑・・・ 『この調和のとれた美しさは、人間業じゃないな。』と 白い波を見ながら思いました。 太陽の光を受けてキラキラ輝く水面の少し下に、 魚たちがクルクル回って泳ぐ姿を見て、 一つ一つが独自に進化してきたものではなく、 これは偉大な創造者の作品だと感動したのを憶えています。

 そして、神とイエス・キリストと私はどんな関係があるのか考えるようになりました。 学校の図書館で『あなたと考える愛というテーマ』岸義紘・・・という本を見つけました。 ぱらぱらとめくったところ、八木重吉さんの詩が出てきました。

『桃子よ お前がぐずって仕方がないとき わたしはおまえにゲンコツをくれる  だが桃子 お父さんの命が要るときがあったら いつでもおまえにあげる なんといういたずらっ子だ ときどきうっちゃりたくなる でも陽二よ おとうさんはおまえのために いつでも命を投げ出すよ』

『本当の愛とはいったい何なのでしょう。 だれかのため自分にとって一番大切なものを与えること・・それが愛ではないでしょうか。』

そして聖書の言葉が書いてありました。

『キリストは私たちのためにご自分のいのちをお捨てになりました。』

そして聖書の言葉が書いてありました。

私は、イエスさまが私のために死なれたこと、神さまが私を愛し、 私を救うためイエスさまを遣わされたことを知りました。

我孫子福音キリスト教会員 N.Y.    2014年7月

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