牧師メッセージ、教会員の証
「洗礼を受けて」
私の教会との関わりは、先に受洗した妻子の送迎から始まりました。 当初から敷居の高さはそれほど感じませんでした。 自然と教会へ行き始め、イエス・キリストについて学び始め、書物にも触れました。 「ちいろば」というある牧師の自叙伝も紹介されて読みました。 誰もが何かしら葛藤しながら生きているのだと改めて気づきました。 そして、自分の罪を知りました。なんと私は多くの罪を犯して来たのか、その罪の多さに気づかされました。 しかし、こんな罪を多く犯してきた私でも救われたのです。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、 その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 第一ヨハネの手紙1章9節
聖霊は私をいつも見ていて下さる。導いて下さる。見守っていて下さる。そう感じたのです。 聖霊に感謝します。神に生かされている事に感謝します。 日々、神は私に様々な試練をお与えになるけれど、 それは私に成長を期待されるが為の導きであると信じたのです。 様々な罪が私の心に湧き起ります。 誰も見ていなくても、少しずつでも成長に向き合う自分でありたいと思ったのです。 聖霊は私を見守っていて下さる。幾度も私を義の道に立ちかえらせてくれる主を、私は信じたのです。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。 たたきなさい。そうすれば開かれます。」 マタイ7章7節
心の弱い私に響いた御言葉の一つです。
あれから一年、朝は御言葉に触れて起き、夜は神に一日の感謝をして寝る様になりました。 それでも、時に瞬間湯沸かし器のように怒りがこみ上げてきます。 そんな時、今は一呼吸置いて「なぜ怒りが込み上げてくるのだろう?」と考えるようになってきました。 そうすると怒りは鎮静されて、自分の言動を反省し、 その怒りは何処かの棚に保管されたかのようになるのです。
「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい」 エペソ4章31節
怒りひとつをとっても神は教え導かれます。様々な罪ある感情に向き合うことでしょう。 これからも祈りと感謝を捧げていく私を神は見守っていて下さるのだから、 御言葉をしっかりと学んで修養し続け、成長し続けるものでありたいと思います。
我孫子福音キリスト教会教会員 S.T. 2016年10月