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牧師メッセージ、教会員の証

「祈れる恵み」



私は、異端(キリスト教と称し行為義認を強調する団体)と長い間、交わり学んできました。 そこには真理が無いことに気づきました。 縁あってこの教会に導かれ、教会の方々と交われる様になった事を感謝しています。 この教会に来る様になって、自分を作る事なく自然でいられる自由を喜び、 今まで感じる事が出来なかった、神との近さを感じられる様になりました。 祈る事がどれほど大切であるか、祈る事で神様と直接交われ、 思いを話し少しずつ角が取られて、気持ちの有り様が変えられて行く事に、 日々感謝出来るようになりました。 以前、熱心に祈ってはいましたが自分の必要ばかりで、 心の奥からの祈りではなかった事が、今は分かります。 まだ下手な祈り方ですが日々の事で、神を感じられるようになり、その度に平安を頂いています。 今の世にあっては、日々思い煩うことばかりですが、その様な時は心より祈って、 一切を神にお任せしようと努めています。終わりの時の日の人々の有り様が、 Ⅱテモテ3章1~9節に記されていますが、私達は、この時代に生きているように思います。 神はそうした人達との関わりの中で、試練に打ち勝つ事が出来る様に、 聖書を通して教え慰めて下さっている事に、 深く感謝し日々祈りによって、神との交わりの中で力と平安をいただいています。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、 あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4章6~7節)

昔は勉強のように聖書を学び、知識だけ増し加えていましたが、 今は荒野にいる様に、心を静めて祈ることを学び、祈る事の大切さを理解する様になりました。 現在、大変な時代に生きていますが、祈りによって神と交われる特権に与れた今、 もう少しで祈りによって交われなくなる時代が来る事を思うと、 今持てる時間の中で多くを、祈らなければと考えています。 イエス・キリストが十字架で血を流され、人間の身代わりとなり、神に裁かれた事で 一切の罪が赦され、神との交わりを許されて、直接神に祈れる事が始まっている事、 やがて御国にあって、神との永遠の交わりを頂く約束に入れられている事を、 心より感謝しています。この恵みを、一人でも多くの人に知って頂きたいと思っています。 今自分の置かれている所で、無理なくクリスチャンである事を辺りの人に知らせ、 神について話す時を持ちたいと願っています。

我孫子福音キリスト教会会員 K.T 2017年11月

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