牧師メッセージ、教会員の証
「救いの証」
神様が、私をどのように救いへと導かれたかをお話しさせていただきます。
私は浄土真宗の強い北陸金沢に、1951年に生まれました。大きな仏壇に、毎朝、炊き立てのご飯をお供えし、
手を合わせる家でした。4歳で近所の幼稚園に入りましたが、好き嫌いが激しい私は、給食に嫌いなものが出ると、
家に泣きながら帰っていました。見かねた両親は、そこを辞めて、私をミッションの幼稚園に入れてくれました。
そこで、初めてキリスト教に触れ、「主の祈り」を覚えました。
幼稚園からのクリスマスのプレゼントは、イエス様の絵のパズルをもらいました。
優しいお顔のイエス様の周りを子ども達が楽しそうに取り囲んでいる絵でした。とても嬉しかったのを覚えています。
しかし、通ったのは1年間くらいでした。卒園することなく、父の転勤で、母と4歳離れた弟との4人で、
富山県小杉町に引っ越し、5年間暮らしました。その後、また引っ越しし、富山市に住みました。
その富山では高校生の頃、親友と教会を訪ねたことがありました。牧師さんとお話し、新約聖書をいただきましたが、
開いて読むことはありませんでした。その後、また父の転勤で、金沢に戻りました。
21歳で結婚し、柏市に住みました。長男が2歳になった時、夫の転勤で札幌の社宅に住むことになりました。
社宅は、広大な3万坪の草原と白樺、ニセアカシヤの雑木林の中にあり、木造長屋の数棟でした。
まるで「大草原の小さな家」のようでした。自然はとても豊かでしたが、とても淋しい所でした。
翌年の春、長男が3歳になり、札幌市主催の「仲よし子供館」(青空幼児教室)が週1回、近所の空き地で行われるようになり、
参加しました。なかなか土地に馴染めなかったのですが、そこで出会い、最初にお友達になったのが、
Kさんと3歳の息子さんでした。
ある時「仲よし子供館」の帰り道、我が家で一緒に昼食をとることになり、Kさんが食前のお祈りをされ、
クリスチャンだと分かりました。秋になると「仲よし子供館」は終わり、次の年から長男が幼稚園に行くようになると、
Kさんとはめったに会わなくなりました。
夏に次男を出産しました。その後、私は、育児に悩んでいました。ある日、長男と同じくらいの男の子を連れた
エホバの証人の婦人の訪問がありました。何か悩みの解決になるものがあるのではと思い、持っていた新約聖書で、
週に1回の学びを始めました。家で聖書の学びが出来るので、楽しみな時間になりました。
そして3ヶ月ほど過ぎた頃に、夫が、仕事関係の知り合いの方が、奥さんの輸血拒否で亡くなったことを聞いてきました。
私は心配して、エホバの証人の方に訊ねたところ、やはり輸血は出来ないと言われました。
夫に、「俺は殺されてもいいけれど、子ども達が可哀想だ。交通事故にでも遭ったらどうするのだ。」と言われ、
楽しみだった聖書の学びはきっぱりと止めました。
私の心の中は虚しさでいっぱいになりました。優しい夫に、ふたりの息子。温かい家族があるのに、
体の中にぽっかりと開いた穴があるような。何をしても無意味なような。このまま死んでもいいとさえ思っていました。
そんな時Kさんが家に招いてくださいました。伺うと、家にはもう一組の親子がいて、その方もクリスチャンと分かりました。
明るさと温かさに包まれた和やかなひとときを過ごしました。帰りがけに、思い切って、
Kさんにエホバの証人の学びをしたことを話しました。Kさんは、目を丸くして驚かれ、
いつも優しいKさんから本気で叱られました。そして、それから、教会の婦人クリスマス会に誘ってくださいました。
婦人クリスマス会の日、雪の降る中、次男をおんぶして、不安と期待でドキドキしながら、教会へ行きました。
当時の手稲福音キリスト教会(現 JECAグレースコミュニティ)は開拓4年目で、まだ会堂がなく、ビルの1室を借りて集会、
礼拝を行っていました。次男は1歳を過ぎて、やっと歩き始めた頃で、私は、斉藤(結婚後 益田)静子先生のお話を
じっくり聞くどころではありませんでした。昼食の後、静子先生から「聖書を学んでみませんか。」と誘われ、
喜んで返事し、1980年1月から「初心者の学び」が始まりました。
“求めなさい。そうすれば与えられます。 探しなさい。そうすれば見出します。 たたきなさい。そうすれば開かれます。” マタイ7章7節
学びの担当になったKさんは、雪の中、週に1回、我が家に来てくださいました。2月27日、Kさんの体調が悪く、
代わりに静子先生が来てくださいました。頭では分かっていても、まだ信じきれない私に、静子先生は、
飛行機の例えでお話されました。「なぜ飛行機が飛ぶのか、全部、理解してから乗りますか。分からなくても、
目的地まで行くと信じて飛行機に乗るでしょう。思い切って飛び込んでみなさい。」と言われました。
聖書の全てを理解することが大切なのではなく、神様を信じることが大切なのだと分かりました。
そして、私は静子先生の後についてお祈りしました。
今までの罪を赦してくださいと罪を言い表し、神様を信じますとお祈りしました。静かなお祈りでしたが、
涙が出て止まりませんでした。その後は、嬉しくて、嬉しくて仕方がありませんでした。
静子先生からは毎日聖書を読むように言われました。
次の日曜日から、息子たちも一緒に連れて、礼拝に出席するようになりました。約半年の洗礼準備の学びと諮問会が終わり、
9月21日、礼拝後、札幌西福音キリスト教会の洗礼槽をお借りして、OMF宣教師のシュミット先生の司式で、
4人の兄姉と一緒の洗礼式になりました。洗礼槽の水の中から起こされた時、とても爽やかに感じました。
私のクリスチャン人生が始まりました。
心の中はあたたかいもので満たされ、虚しさはなくなりました。
洗礼式の朝、夫が「人生の目的が出来てよかったね。」と言ってくれました。ほんとうにその通りになりました。
“このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには 良いものを与えることを知っているのです。 それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。” マタイ7章11節
“私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。 主のあわれみは尽きないからだ。 それは朝ごとに新しい。” 哀歌3章22、23節a(第3版)
我孫子福音キリスト教会会員 Y.Y 2018年3月30日 受難日