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牧師メッセージ、教会員の証

「洗礼の証」


 私は、1960年千葉の四街道に生まれ、父の仕事の関係で全国転々としていました。 千葉から所沢に行き、北海道の千歳から札幌。ここで小学校に入学しました。 さらに、札幌から真駒内、また、千葉にかえって、次は福岡。ここで中学校に入学し、熊本に移り住み、 高校と大学に通いました。
 それぞれの地で 気の合う友達はできました。しかし、しばらく文通などしていたのですが、 携帯もなくメールもない時代でしたので面倒になり、すぐに疎遠になってしまいました。 新しい環境でも「すぐ引っ越すからいいや」という気持ちがでて、 いやなことには向き合わない生活だったように思います。
 ここで、聖書にふれる機会がありました。小学校のころ近所の家に夕方(たぶん水曜?)に 10円を握りしめ、歌を歌ったり、お話を聞いたり、カードをもらったりしていました。 なんとなくふわふわとして、居心地のいい感じがしたことを覚えています。 たぶん、母親が近所のクリスチャンの方に誘われて家庭集会に誘われていたようです。 残念ながら3ヶ月ぐらいで引っ越してしまい家庭集会は信仰に結びつくことなく、終わってしまいました。
 1983年に就職して、ここ我孫子に来ました。熊本からでてきたので、首都圏での 生活に期待していたのですが・・・・・自然豊かな我孫子でした。
 バブルのなか、インターネットやパソコンなどの技術が急速に進歩していました。 私は、情報伝送装置(ファクシミリ、写真電送システムなど)の組み込みソフトウェア開発を 行うことになりました。次第に仕事も覚えて、自分の考えたように動くものを作る仕事が楽しくなり、 自信もつきました。すべて、自分でという自己中心的な思いが大きくなってきました。
 こんな生活の中、1989年に妻と結婚をしました。私は相変わらず忙しい仕事人間でしたが、 男の子を2人授かり、元気に育ってくれました。
 2010年の冬、大きな試練が訪れました。大腸がんに罹患しました。精密検査後、すぐに医者から告知されました。 妻も同席しており二人で頭が真っ白になりました。
 手術のために入院しました。非常に不安であり、心が乱れました。この時、久保田先生からカードをいただきました。 夜、不安で押しつぶされそうな中、何気カードをベッドに並べて眺めてみました。不思議と心の乱れがおさまり、 落ち着きました。神様がそばにいてくれる安心感をいただいたのだと思います。 カードには、

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。 私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのたましいを守られる。 主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。』
          詩編121:1ー8

とありました。
 手術は無事終わり、1か月の入院後、退院できました。退院後、抗がん剤治療がはじまりました。 体調がすぐれませんでした。本当に治るのだろうか、再発は大丈夫だろうか、不安に押しつぶされそうな毎日でした。 そんな中、妻から、「教会に行こう」と言われて教会の礼拝にいくようにになりました。 何度目かの礼拝の時、このみ言葉で神様がそばにいてくれる、安心感を思い出しました。

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。 わたしはあなたを強め、あなたを助け、 わたしの義の右の手で、あなたを守る。』
     イザヤ書41:10

 そして田村先生との学びを始めることができました。学びを進めるたびに神をそばに感じることが できるようになってきました。しかし、その中でも「なんでそうなるんだろう」と 自分の考えの中から出ることができず、また、洗礼を受けるということが理解できず、背を向け、 「向き合わない」方に逃げていく自分を感じていました。(数年間この時期が続きました。)

『 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、 ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。』
     ヨハネによる福音書 20:16

 このみことばを礼拝で聞いて、「振り向いて」は、「向きを変える・悔い改める」ということが心に残りました。 そして、私も神様のほうに向きを変えたいと、洗礼を受ける決心をしました。 礼拝後に田村先生から「洗礼を5月に・・」と言われて、しっかりと向き合う自分を感じられて、 「はい」ということができました。

『そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、 イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を 受けます。」』
     使徒の働き 2:38

 まだまだ、聖書を理解できずに「なぜ」と言っている自分がいますが、すべてありのままで、 神様とまっすぐに向き合って信仰を深めたいと思います。

我孫子福音キリスト教会会員 Y.K 2018年5月27日

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