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牧師メッセージ、教会員の証

「洗礼の証」


 私は、現在は葬祭業に従事しています。25歳から約26年間、小学生と中学生を対象にした進学塾の経営に携わり、 講師をしてまいりました。しかし、色々なことがあり、50歳を過ぎたころから葬儀の仕事がしたいという 思いにかられました。葬儀の仕事には13年ほど従事しています。そして一昨年、キリスト教専門葬儀社、 聖心セレモニーの代表取締役に就任しました。

私が、聖書や教会や福音にふれるようになったのは葬儀の仕事を始めてからです。 (実は大学の必修科目に聖書の学びがあったようですが全く覚えていません。) 葬儀は皆様が信じる宗教のもと宗教儀礼を含む式典です。最近は、火葬のみ、無宗教葬など、 宗教儀礼を省いた葬儀も増えています。葬儀費用、送る側の人数の減少など宗教儀礼のない葬儀を行う理由は 様々あると思いますが、宗教儀礼のない葬儀式は、私の中ではまだ消化しきれていません。 皆様もご存じだとは思うのですが、日本の葬儀のほとんどが仏教式で行われています。 私も葬儀を始めたころはほとんどすべてが仏教式の葬儀でした。葬儀の仕事をするにあたり、 仏教の基礎知識は必須です。私も葬儀に必要な仏教儀礼を学びました。だからと言って仏教について 深く知る必要もありません。葬儀に必要な一連の所作がわかればそれで支障はありませんでした。 実際のご葬儀の際、ご家族においても熱心にお経を聴いていらっしゃる方はそれほどおられないようにも思いました。 儀式ですのでそれで宜しいのでしょうし、ご家族も葬儀は日常とはかけ離れた特別な日。 お経を聞くことも、葬儀の時の特別なものと、してとらえているように思います。

 そんな中で、初めてキリスト教式の葬儀のお手伝いをしたときは、戸惑いがありました。 たぶん観光見学以外の目的をもって礼拝堂に入ったのも初めてだと思います。 もちろんキリスト教の葬儀をお手伝いする前に、考え方や所作はネットや本で事前に学びましたが、 実際の葬儀では、とにかく支障のないように葬儀のお手伝いをすることが初めのころの認識でした。 その後幾度となく、教会での葬儀をお手伝いするうちに、そして牧師先生や、クリスチャンの方々と 親しくしていただくにうちに、仏教式の葬儀と教会で行う葬儀の違いは何なんだろうと考えるように なっていきました。そしておそらく葬儀の本来の形は、キリスト教式である、という思いにかられてきました。

 キリスト教の葬儀は特別な儀式でなく日常の中にあり、遺族の方々からは悲しみは伝わるのですが、 悲壮感は伝わってこない。葬儀の良しあしや、死に対する宗教間の違いなどに言及するつもりは毛頭ありません。 ただ葬儀のお手伝いをすればするほど、教会やクリスチャンの方々の日々の歩みや、死に対しての思いなど もっと知りたいと思うようになりました。

 このように私がクリスチャンになりたいという思いは葬儀を通してです。信じていれば、キリスト教の式の手伝いをすることは問題ないだろう、と勝手に思っていましたが、それが宜しくないという思いもだんだん強くなってきました。 葬儀を通して、クリスチャンになりたいという気持ちが正しいか否かは、私にはわかりません。ただ洗礼を受けたいという思いはますますつのってまいりました。

 2017年1月5日(木)午後に、牧師室の田村牧師を訪ね、私の思いを伝え、今日に至っています。 田村牧師にはそれまで葬儀の説明会や、教会員の方(森田姉)の御葬儀でお会いしていました。 それ程多くお話をさせていただいた訳ではないのですが、葬儀の時の説教を拝聴させていただいたとき、 洗礼は田村牧師にお願いしようと、心の中で勝手に決めていました。このような私に牧師は聖書の教えの 基本的なことをお伝え下さり導きはじめて下さいました。 田村牧師は本当に不定期に、不意に訪れる私をいつも心より迎え入れ、指導して下さいます。 学びによって少しずつですが気づかされることがあります。 今まで神から愛されていることも知らず、いのちも体も仕事も家族もすべてのものを与えて自分を 生かしてくださる神を信じることもなく、まして愛することもなく過ごして来たことを気づかされました。 しかしこのような者の不信仰も罪もすべてを赦しきよめるために神の子キリストが十字架で 私の身代わりとなってくださったことを信じ感謝します。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネ3章16節

 私が洗礼を受け、クリスチャンとして歩み始めることは私自身の喜びであると同時に、 宗教儀礼を考えずに葬儀をされる方々に、もっと寄り添ってキリストのこと、 そして葬儀のお話ができるようになると思います。 自ら進んで聖書に触れることもせず、キリスト教の葬儀の手伝いをし、先生方の説教を 聴いてきたことが恥ずかしくなります。聖書に触れた時、創世記、マタイの福音書は 今までにも見聞きした内容が多く読みやすかったのですが葬儀に関わる者として、 心に残るみことばはやはりヨハネ11章25節です。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも 生きるのです。」 なぜならばこの1節が私の歩みの第一歩になると思うからです。

我孫子福音キリスト教会会員 W.A 2018年5月27日

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