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牧師メッセージ、教会員の証

「救いの証」


 私は、昭和16年(西暦1941年)の10月に、東京都荒川区に生まれました。太平洋戦争が始まる約2か月前でした。私の家の宗教は、仏教でした。子供の頃に、兄が、どこかで本を貰ってきたことがありました。その本は、小型で周りが赤く塗られていました。珍しい本だなと思い、捨てないでしまっておきました。後で、それが新約聖書(文語体)と分かりました。何が書いてあるのかよく分かりませんでしたが、なぜか捨てたくはありませんでした。又、小学校5、6年の頃だったと思いますが、初めてキリスト教の、路傍伝道をしている人達に会いました。当時は路傍伝道とは分かりませんでしたが、美しいなあと思う歌を、その人達は歌っていました。私はそれを聞いて、とても感動しました。後でその歌は、「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いをとり去りたもう」で始まる讃美歌と分かりました。 昭和32年(1957年)春に、中学校を卒業し、社会人となり通信関係の会社で働き始めました。ある休日に、ラジオによるキリスト教の伝道番組が耳に入りました。その頃の私は、人生に空しさを覚え、何か心が満たされるものがないかと求めている時でした。放送を聞いた後、早速キリスト教の通信講座を受講し、卒業証書を頂きました。それでキリスト教の事が分かったと思いこんでしまいました。社会人となってから、1年後に定時制高校に入学しました。高校では放送関係のサークルに入りました。そのリーダーは、女性のクリスチャンでした。同じサークルの人に、キリスト教の信仰の話しをしている姿を見ました。その後私は、体調の関係で、高校は中退することになりました。又、ある時に、職場のビルの入口で、何人かの人達が、キリスト教の「聖書研究会」の案内チラシを配っていました。それはサークルのひとつで、職場の一室で開かれていました。早速仕事が終わったあとに参加しました。何回か出席している内に、リーダーの人から「教会に行ってみませんか。」と言われ、その頃に私が住んでいた、埼玉県川口市にあるインマヌエル川口キリスト教会を紹介してもらいました。 教会生活を送るようになり、教会の礼拝で聖書に基づく牧師のメッセージを聞き、また、祈祷会等で、祈りの中に加わる恵みを与えられて行きました。そして自分が、まことの神様の前に、罪深い者であることを知らされました。昭和34年(1959年)9月13日に、聖書のコリント人への手紙第2、5章21節にある「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」の御言葉を示され、イエス様が私の罪のために十字架に掛かり、私の身代わりとなって、罪の贖いをして下さったことを信じ、自分の罪を悔い改めました。それは17才の時でした。そして10月に入り、洗礼の恵みに与りました。私が、神様の恵みによって救われたのは、多くのクリスチャンの兄弟姉妹のお祈りが、私が体験した出来事の根底に有り、それを神様が聴いて下さったからだと思います。神様に感謝します。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」 イザヤ書46章4節 「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」 マタイの福音書7章24節

岩の上に家を建てた賢い人のように、主を心から信じ、お委ねして、主に従う信仰の歩みをしたいと願っております。

我孫子福音キリスト教会会員 S.A 2018年8月12日

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