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牧師メッセージ、教会員の証

「救いの証」


 私は、東京都港区にある日本同盟基督教団麻布霞町教会に通っていた中学2年生の秋、一家六人で、多摩川にて受洗しました。長男の兄が結婚式を明日にひかえた時でした。 終戦後、1945年(昭和20年)、東京から、母の実家があるつくば市小田に移り住みました。私の兄弟は、ドイツ人宣教師のベッカー師、その後、アメリカ人宣教師のショーリ師の集会に出席していました。父と親類の人達は大反対し、特に教会学校の手伝い等をしていて熱心だった長兄を集会に行かない様に反対しましたが、母は兄をかばってくれました。家の柱には

「主イェスを信ぜよ、さらば汝も、汝の家族も救われます。」(使徒16章31節 文語訳)

のみ言葉が貼ってありました。

私が小学2年生の冬、6歳下の弟が1歳の誕生日に召天してしまいました。次の日、雪が地上をおおっていました。仏教徒だった父は、肩を落として、イェス様に救いを求めていきました。長兄が神学校に行きたいと言った時も強く反対しませんでした。母は神学校で使う布団を作りながら、悲しみの涙を流していました。神学校を卒業した兄は、牧師として秋田の教会に行きました。 私は小学5年生の時、教会学校の皆勤賞で、旧新約聖書を頂き、通読しましたが、理解する事は出来ませんでした。ただ、何かある度、イェス様だったらこんな時どうするかな・・・と考えていました。イェス様の十字架の贖いを、自分の事として信じられる様になったのは、数年後の事でした。自分の中には、したくないのに、してしまう、しなければならないのに出来ない罪がある事が分かりました。ある伝道会の夕べ、お話を聞きながら、涙が止まらず、ハンカチの用意がなかった私に、隣の方がハンカチを差し出して下さったので借りてしまいました。翌日の周りの木々は、輝いて見えました。神様にすべてを任せて歩めば良いのだ、頑張らなくていいのだ。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章20節  「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 ローマ8章28節

高校1年の冬、富山県の父の母が召天致しました。終戦の年に生れた私は、写真で見ただけで一度も会った事がありませんでした。中学を卒業して、昼は日本電気に勤め、夜は定時制高校に通いました。父の勤めていた会社が倒産して、父は二週間富山に帰る事が出来たので、その時、父に私の冬のボーナスを渡しました。祖母は父から、イェス様の事を聞くことが出来、信じて天国に旅立ちました。間に合って本当によかったです。 家族の救いは、長兄の長年の祈りでした。2017年11月三男の兄が80歳で病床洗礼を受け、まもなく召天致しました。

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」 第2 コリント1章4節

次兄だけがまだ決心していません。主のお導きを、お祈りしております。

我孫子福音キリスト教会会員 T.A 2018年8月12日

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