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牧師メッセージ、教会員の証

救いの証


 私は福島県南会津郡田島町で生まれました。1歳で福島市に引っ越してきて、大学に進学するまでを福島で育ちました。両親は地元での進学を願っていましたが、無理を言って東京のミッションスクールに入学させてもらいました。
 大学の門を入ると正面の本館に、ラテン語で‘QUAECUNQUE SUNT VERA’(すべて真実なこと)と大きく刻まれていました。新約聖書のピリピ人への手紙4:8「最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。」からの1節でした。入学礼拝で学長がこの聖句に触れ、「皆さんにとっての真実を見つけて卒業していってください」と言われました。大学では必修科目のキリスト教学の授業を受けたり、伝道週間の講演を聞いたりしましたが、信仰を持つまでには至りませんでした。卒業礼拝の時に入学礼拝の時のことを思い出し、「真実」を見つけないまま卒業することに心が痛みました。しかし、その思いは社会人となって益々慌ただしい生活を送る中でどこかに押しやられてしまいました。
 大学卒業から10年以上経って、結婚、出産、引っ越しを経て我孫子に落ち着いた時でした。自分の罪深さを思い知らされることが続きどうしたらいいのか思い悩んだ時に、「真実」を見つけていなかったことを思い出しました。「真実、真理」を見つけていない私には、拠り所が無くて、その結果が今のみじめな自分なのだと気付きました。「真実」を見つける手掛かりは聖書だと、その時から神様を求める思いが強くなりました。その後、子どもの幼稚園探しをしていて、聖書の言葉を掲げている幼稚園に導かれました。その幼稚園でクリスチャンの親子に出会いました。この方は、会うたびに私にイエス様の話をしてくれました。また、子どもたちを教会の子どもの催し(わくわくキッズやわくわくサマースクールなど)に誘ってくれました。そして、1998年の我孫子福音キリスト教会の婦人クリスマスに私を誘ってくれました。残念ながら子どもが熱を出してしまい出席は叶いませんでしたが、彼女からその時の講演のテープを頂きました。「あるがままに」というタイトルの朝岡満喜子さんの講演でした。これを聞いて、「罪について」心が整理されていき、教会の礼拝に行こうと背中を押されました。そしてその年のクリスマス礼拝に出席することができました。翌年からは毎週の礼拝にも出席が叶いました。週に1回の聖書の学びもしていただけることになりました。また、子ども連れで家庭集会にも出席できるようになりました。しかし、一緒に聖書の学びをしていた友人が先に救われ洗礼へと導かれると、救いから取り残されているように思えて悲しくなり、聖書の学びや集会への出席が苦しくなっていきました。それでも神様は私をとらえて離さずにいてくださいました。聖書の神様にしか私の助けはないと思い、礼拝には続けて出席していました。
 2000年12月の家庭集会の日、教会員の方がとても熱心に誘ってくださるので、気が進まないながらも集会に出席しました。メッセージは、子どもの幼稚園でクリスマスの時に何度も聞いた聖書の箇所からでした。讃美と祈りに続いて牧師が聖書を読み始めた時、聖書のことばが、いつもとは違って、力強く私に迫ってきました。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ルカの福音書2:11
神様はこの時に「あなた方とは、あなたのことです。わたしは、あなたを救うために、この世に来たのです。」そう教えてくださいました。この時、聖書のことばは、それを読む人、聞く人、一人一人に対して、神様が語ってくださっていることばであることが分かりました。私のように罪深い者にも救いが用意されていることがわかりました。そして、イエス様を私の罪のために十字架にかかってくださった、救い主であることを信じました。

 また、ヨハネの福音書13:20「わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」によって、私に学びをしてくださっている牧師が、神様から私に遣わされた方であること、その方の教えることを受け入れなさいと神様が願っておられることが分かりました。苦しく感じていた聖書の学びが、喜びと変わりました。

 また、ヨハネの福音書14:6「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」によって、私が探し求めていた「真実(真理)」が、イエス様であることがわかりました。大学の入学礼拝で「真実」を探す宿題を出されてから15年後に、その答えにたどり着くことができました。大学時代に神様と出会う機会がありながら、長い間神様に向き合おうとしてこなかったことを神様に謝り、赦していただきました。

 そして2001年12月9日に洗礼を受けました。受洗の時に、「私たちが真実でなくてもキリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」第二テモテの手紙2:13のみことばが与えられました。

 洗礼を受けた後に、母から、母が若い頃にアメリカから会津田島に来ていた宣教師の方と交流があったことを聞かされました。私の祖父は宣教師の方を自宅に迎えお話を伺ったそうです。「キリスト教はいいな。」と祖父は言ったそうです。神様が、私の生まれる前から、南会津の田島町にまで福音を伝えるためにアメリカから宣教師の方を遣わしてくださり、働いていてくださっていたことに感動しました。そして、神様が祖父にまいてくださった福音の種が、私の信仰へとつながったのだと深く感謝しました。
 若い時に宣教師の方と出会い、祖父に福音を伝える手伝いをした母は、結婚や引っ越し等の諸事情から教会から離れています。母にイエス様の十字架と復活が真実であり、その福音の恵みが分かるようにと祈っています。

我孫子福音キリスト教会会員 Y.S 2019年4月19日 受難日夕拝

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