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牧師メッセージ、教会員の証

救いの証

 私は1943年、7人兄弟の下から二番目で、九州は宮崎市に生まれました。家族は大所帯でしたが、父が公務員として一家を支えていました。
 私が7、8歳の頃、二番目の兄が市内の教会に行くようになり、宣教師の手伝いをしながら、いつ洗礼を受けたのかは分かりませんでしたが、家族でただ一人、クリスチャンになっていました。

 私が12歳の時、父がギックリ腰になり、自力で接骨院に行ったのですが、そこで逆治療のため に、動けない身体になってしまい、県病院に転院した時には、寝返りが出来ない状態で、それから寝た切りになり、やがて心臓が弱り、7か月後に亡くなりました。
 そのような父でしたが、入院中に、東京に行ったクリスチャンの兄を通して、宣教師のお見舞い を受けるうちに、聖書の神様を受け入れたということで、田舎で初めてのキリスト教の葬儀を行いました。

 父の葬儀後、残された家族にも福音の種が蒔かれ、同じ兄の勧めで、私と妹はバスに乗って、市内にある教会の日曜学校へ行くようになりました。この時が私の教会へのスタートとなったのです。 礼拝の中で、教会学校の先生から、今まで知らなかった真の神様がおられること、その神様は私たち一人ひとりを見守っていて下さる愛の神様であること等を教えて下さいました。

 そのとき、日曜学校の先生から貰った、一枚のハガキを今でも大切にとってあります。 そこには
  「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。
  光の子らしく歩きなさい。」 エペソ人への手紙 5章8節
に続いて、イエス様のよみがえりのことが細かい字でぎっしりと書いてあります。

 その後、東京に行った兄の勧めで、夜、家庭集会がもたれるようになり、神学生の方が来て下さり、残された家族皆での聖書の学びが始まりました。しばらくして、一番上の兄と二番目の姉が洗礼に導かれました。
 私は神様の存在は分かったのですが、まだ自分のこととして理解していませんでした。教会に行ったのは1年余りで、日曜日は進学のための補習授業があり、だんだんと教会から遠のいていきました。勤め始めてからも、神様のことは頭の片隅にはありましたが、自分から教会に足を運ぶことはありませんでした。

 1970年、結婚のために上京し、2児の母となり、我孫子での生活が始まった頃から、毎日の生活 と育児の大変さに明け暮れるようになり、楽しいはずの生活が苦しく、自分は何のために生きてい るのだろうかと、人生の空しさを覚えるようになっていました。
 丁度、下の子供が2歳の頃、4歳位の男の子を連れたご婦人が家を訪問されて、聖書の話になり 「教会に行かなくても聖書は学べますよ。ぜひ私と学びませんか。」と誘って下さり、それならと、家で学び始めました。その方はとても熱心な方で、よく教えて下さいましたがいつからか、学びの中で違和感を覚えるようになり、続けられなくなりました。後で分かったのですが、その方はエホバの証人の方だと知りました。
 そのような頃から、先に上京し、クリスチャンになったばかりの一番上の姉から、教会の小 冊子が届くようになりました。その中の「伝道者の書」に、人生の空しさのこと、私たち人生に はすべて時がある、というようなことが書かれてあり、私の心境と同じだなーと、心が少しずつ 変り、穏やかさを取り戻すようになっていきました。

  「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
  神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」 伝道者の書 3章11節(第二版)

  「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」
  伝道者の書 3章1節(第二版)

 また、並行して、二番目の兄の知り合いだという、ワイペルト宣教師(我孫子福音キリスト教会の2代目宣教師)ご夫妻が、突然訪ねて来られ「東京でお兄さんにお会いしましたよ。お元気ですか。」と笑顔で挨拶をされました。
 先生から、「今度、教会で婦人会がありますので、ぜひ出席してみませんか。」と言われ、誘われるままに「はい」と返事をしたのです。婦人会の当日、本当に家まで車で迎えに来て下さったのです。その時、婦人会で何を学んだかは覚えていないのですが、奥様のやさしい眼差しは今でも覚えています。先生は利根町集会の責任も持っておられ、集会のある時は途中に、家に寄って下さり、一緒に連れて行って下さいました。

 我孫子福音キリスト教会の礼拝に行き始めて、半年ぐらい経ち、永遠への思いと、自分が罪人であること、私の罪を赦して下さるために、イエス様が身代わりとなり、十字架で死んで下さったことを信じることが出来、洗礼を受けました。

 次第に教会にも慣れ親しんでくるうちに「こいのにあ」と「教会学校の働き」、「教会だよりの編集印刷等」の奉仕が与えられ、神様から沢山の力を頂いて兄姉と共に奉仕を続けて来られことを感謝しています。
 その後、主人も伝道礼拝で導かれ、救われて、今は、共に礼拝出来ますことを感謝しています。

 10年前、胸部大動脈瘤の大手術を受け3週間の入院生活を余儀なくされましたが、神様の憐れみと兄姉の祈りによって順調に回復することが出来ました。
 また、数年前より肺疾患のため、体力が落ち、声を出すのも厳しくなってきていますが、主人の運転のお蔭で礼拝に出席出来ていますこと、感謝しています。

 長い人生の思いがけない時にも、神様はいつももそばにいて下さり、癒しの御手を差し伸べて下さり、ただ祈ることによって平安を下さり、現在も主の御愛によって、慰めと励ましをいただき、感謝しています。

  「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、
  内なる人は日々新たにされています。」 コリント人への手紙 第二 4章16節

 昨年まで、毎週1回、長電話で近況を報告し合ったり、神様のこと、教会のことなどを語り合ってきた長姉がこの5月に、そしてその一週間後に、家族全員に福音を宣べ伝えてきた兄も天国に帰って行きました。今は会えなくなりましたが、必ず、天国で再会出来ることを信じて、毎日、神様を見上げて歩んでいます。

  「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
  わたしがあなたがたを休ませてあげます。
  わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
  わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
  わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
  マタイの福音書 11章28~30節

我孫子福音キリスト教会員  T・F        2019年12月15日 礼拝にて

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