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牧師メッセージ、教会員の証

救いの証

 私がどのようにして、神様に捕らえられ導かれたかを、皆様に証する機会が与えられ、感謝します。私は罪深くて、いつも神様からもらいっぱなしです。この世で私が自分の力で手に入れたものはありません。 私は、小さい頃から、物事を口で説明することが、とても苦手な人間でした。5歳上の姉は論理的で、私の言動の意味をいつも私に問いました。私は問い詰められた時、もごもごして説明できず、惨めに思って、いつも泣いていました。又、私は自分のフィルターを通すと、ちょっと他人と違うんだなと感じました。自分は変わっている、みんなと同じようにしなくちゃといつも思っていました。また、とても罪深い自分を後悔していましたが、どうすることもできませんでした。私はいつしか、自分の言動を人から問われた時の為に、自分ではなくて、テレビの中の人や、友達、姉の言動を真似して言うようになりました。自分の意見ではなく「〇〇さんがやっていたから」と言えば、間違っていたとしても、自分の考えではないので、強く指摘されても深い心の傷にはならなかったのです。

 中高生の時の自分は、何を決めるにしても姉にお伺いを立てていました。私は姉に否定されることが怖く、シスターコンプレックスでした。自分の気持ちを心の中で見て見ぬふりをして、自分の意見を殺している自分を知っていました。私の人生は、自分を守り過ぎていて、自分の人生ではないみたいで、心の底でとても悲しんでいました。いくら頑張っても私は姉ではないので、姉にはなれません。自分でもおかしいと思っていましたが、その言動を自分では変えることはできませんでした。

 短大で中国に道が開かれた時、姉のいない世界を見つけてほっとしました。当時の私は、正しいと言われている道を通らなければ、人から変な目で見られるような気がしていました。しかし、どんな道を通るかはその人の自由だと日本の外に出て初めて実感しました。社会主義一色の中国の人々は、生きてゆくのに必死でした。道理の通らない理由で自分を守っている人を見た時に、私はその強さを羨ましく思いました。私もそんな風に人の目を気にせず、自分を守れたら良かったのに、と思いました。ばかだと言われようが変だろうが、「私はこう思うんだ」と強く言えたら良かったのにと思いました。しかし思ってはいても自分を変えることはできませんでした。

 その頃、中国語を少しでも話せる人は少なく、就職先は電子部品を作る会社の海外営業部に配属になりました。自分の下手な中国語での電話のやり取りに、毎日自己嫌悪になりました。楽しかったこともありましたが、バブル景気で浮かれた世の中も私には理解できず、自分が生きている意味について考えると、虚しさを強く感じていました。

 そんな時、その会社で、台湾人と日本人のハーフの恵美さんという女性と出会いました。そして一緒に食事をした時に、何となくそんな気がして、「恵美さんはクリスチャンですか?」と聞きました。彼女はそうだと答えました。「私も恵美さんの行っている教会に行きたい」と言うと、次の日曜日、彼女はすぐに私を教会に連れて行ってくれました。恵比寿にある「東京国際基督教会」という比較的大きな華僑の教会に一歩足を踏み入れた時に、私は生き生きとした留学生たちの信仰を見ました。そして私もこの人達のように輝きたいと思いました。日本で成功した中国系の長老たちが支える教会には、中国系の多くの留学生たちが集まり、いつも新しい人が加えられ、信仰を持ち、成長して伝道し、国に帰ってゆきました。牧師先生は日本語教育を受けた世代の台湾の方で、当時60歳位の李先生でした。留学生たちは母国を離れ、日本で働きながら勉強をしたり、仕事をしたり、それぞれが夢を持っていました。毎週日曜日の夜には、長老の家で家庭集会があり、若い人たちが食事を作り、順番に証をしていました。神様からの宝物がキラキラと輝いて見えました。

 それまでの私は、休日は家に引きこもっている内向的な性格でしたが、日曜日の礼拝と水曜日の仕事帰りの祈祷会には欠かさず教会に通うようになりました。今思えば、陰で私の為に祈ってくれていた方はいたと思います。しかし、当時の私は、「私を教会に来いと呼んでいる人は誰もいないけれど、図々しくても何でもいいや、私は教会にどうしても行きたいんだ」と思いました。私が19年生きてきて、そんな風に自分が心からしたいことを、どうしてもと主張することは、滅多にありませんでした。
 私はその教会で、失敗を恐れずに、夢に向かう方々の信仰を見ました。自分を守り過ぎて前に進めなかった自分だったけれども、神様が一緒ならば、失敗も失敗ではなく、痛手を負ったとしてもまた立ち上がれるんだという、神様がいつも共におられるという、希望と確信をもらいました。そして自分が怯えていた何かから解放されるように感じました。教会には真理があると思いました。神様の教えは、小さい頃に通った日曜学校のように、全く違和感はありませんでした。まるで故郷に帰って来たように思いました。幼い頃から、神様の存在は確信していましたので、すぐに洗礼を受けたいと李先生に伝え、1988年のクリスマスに洗礼を授けて頂きました。

 その後の私のキリスト者としての生活は、神様に喜ばれることばかりではありませんでした。しかし、どんな時にも神様は私を見放さず、共に神様がおられます。いつでも神様に訴えて祈ります。特に苦しい時は、イエス様が私の手を引いて下さり進みつつ、悔い改めに導いて下さいます。
 ・・・いつも聖霊様が助けて下さる人生を歩めることは、神様を知らず前に進めなかった自分にとって奇跡であり、宝物です。

  実に、私たちは、滅び失せなかった。
  主のあわれみが尽きないからだ。
  それは朝ごとに新しい。
  あなたの真実は偉大です。
             旧約聖書 哀歌3章22~32節

我孫子福音キリスト教会員 S・A   2019年11月17日 礼拝にて

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