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牧師メッセージ、教会員の証

どのように主イエスを信じるものとされたか

私は、三重県の伊勢市というところに生まれました。
小学校1年生の時に、担任をしてくださった先生はクリスチャンで 給食をいただく前に短く下を向いてお祈りをされている方でした。
その先生が退職されてからも自宅に遊びに行かせていただいたり、また母が先生の自宅で開かれている書道教室に行っていたこともあり、私は小学校6年生の時に、バスで20分かけて、その先生が通われている教会学校に通うことになりました。
 教会学校で学んだ事は「まことの神さまは ただお一人 イエスさまだけです。 伊勢神宮の神さまとかお寺の仏様… すべては、本物ではない 人間がつくりだした神様です。」ということでした。私はそれを聞いて衝撃を受け、そして にせものの神さまではなく まことの唯一の神さまイエス様を信じていきたいと思いました。
私の実家は、先祖を手厚く供養していくことこそ 子孫繁栄の秘訣と信じてやまない家だったので「これからは初詣に行かない、もう家の仏壇も拝みません。」ということを私が言い出したものですから血相を変えて 教会学校に行くことを強く反対しました。教会学校に行って少しは道徳的によいものを得て良い子になって帰って来るかと思ったら、そのような事だけ習得して帰ってきた娘のことを ひどい言葉で強くなじり、そして怒りました。
でも私は、まことの神様は イエス様だけということが分かってしまったので反対をされても小学校卒業まで 隠れて教会学校に行き続けました。
 中学生になり部活動が始まり 教会学校には行かなくなりました。
土曜日に 家に帰るとお昼頃に三重テレビ放送で「レックス・ハンバード 明日への希望」というアメリカの宣教師のメッセージ番組が放送されていました。これは、教会に行けない私への神さまからのエールだったと思うのですが 偶然 そんな放送をやっていることを発見し土曜日のお昼、私は家族に隠れてその番組を見て賛美やメッセージで元気をもらい 教えられて 部活動に出かけていました。
ある日、部活動での友達との関係が原因で もう明日から学校に行けないなという出来事が起きました。その時にふと私の頭に浮かんだのは 番組で紹介していたレックス・ハンバードの祈りの家族・電話相談室に電話をすることでした。 「~~~~という事が起きて もう私は部活に行けません、どうすればよいかわかりません。」と話したところ
突然、電話をかけてきた中学生のために 名前も知らない女性の方が 電話の向こうで 一生懸命話を聴いて祈ってくれて学校に行くことができました。「大丈夫ですよ。イエス様がきっと助けてくださいますからね。」 その時の経験を今も忘れることができません。
高校受験を迎え 恐れや不安に心が押しつぶされそうになり、精神的に追い詰められた時には「いつくしみ深き 友なるイエスは  罪咎 憂いを取り去りたもう。 心の嘆きを つつまずのべて などかはおろさぬ 負える重荷を」という賛美歌の歌詞が書かれたクリスチャン新聞福音版を母のカバンから見つけました。母が書道教室の先生からもらってきた物だったと思います。 その時、その歌詞が ぐっと心に、せまってきて賛美の歌詞に本当に慰められ 励まされることをおぼえました。 私の弱さを知っていてくださり、悩みや悲しみに沈んだ時も祈りにこたえてくださるイエスさまがともにおられるんだ、何もおそれることはないのだと、教会学校で習った賛美や「いつくしみ深き」を声に出して歌い神さまに祈ることで 受験期を乗り越えることができました。

大学生になり親元から離れて 京都にあるキリスト教系の大学に進学しました。「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選び あなたがたを任命しました。それはあなたが行って実を結び、その実が残るようになるため……」という聖書 ヨハネの福音書15:16のみことばを入学式でいただき、神さまがこの学校に来させてくださったのだなと喜びで胸がいっぱいになったことを今もよく覚えています。
大学の宗教部では様々なクリスチャンの友達との出会いがありました。
過食症と引きこもりを繰り返して苦しんでいる子、イエス様を信じる前は毎晩お酒をやめられなくて苦しんでいた子、大学入学直前にお父さんを亡くし経済的困難の中、アルバイトに励みながら学生生活をおくっている子…みんな悩みながらイエス様を信じる純粋な信仰を持ち 本当に一生懸命にしっかりと神さまを見上げて生きている子たちでした。京都で教会に通い始めて イエス様を信じてはいるけれど 洗礼を受ける決心がつかない私のために祈って励まし、小坂忠さんと岩渕亮さんのゴスペルコンサートに連れて行ってくれました。
 他にも足を怪我した私のために、車をわざわざ出してくれて 高速道路を使ってまで遠くの伝道集会に連れ出してくれた奉仕神学生の方、いつも優しいほほえみで神さまのお恵みや導き、みことばを語ってくれて 祈ることを教えてくれた宣教師の先生…。自分が救われるために どれほど多くの人が祈り、労力を惜しまずささげてくれたことでしょうか…。19歳のイースターに洗礼を受けました。受洗したことで あいまいだった自分の信仰が はっきりとされて、わからなかったことが より分かるようになり 神さまを求める気持ちがより強く、方向性が、はっきりされたような気がします。
 そして就職、結婚を経て長男を与えられ、我孫子市に引っ越してきました。
子育てを通して 自分の努力だけではどうにも解決できない現実があることを知りました。
自分がいかに 自分の思いや価値観だけにとらわれて生きてきた、いかに間違った人間であるかという事、もがき苦しむ中で自分のみじめさ・おろかさを思い知りました。
今まで自分は少しは良い人間だと思っていたけれど、ただの罪深い、冷たい 心の狭い人間だという事が分かり すべての問題の原因は自分の心の中の罪にあるのだ 悔い改めなくてはいけない、という事を教えられました。
神のひとり子であられるイエス様が、なぜ この汚れたこの世界に人間の姿をとられて生まれてきてくださったのか、なぜ十字架にかかってくださったのか すべては私の罪をゆるし 永遠のいのちに生きる者としていただくためでした。
 イエス様の十字架の前に罪を悔い改め ただひれ伏すより無いちっぽけな自分を小さな伊勢の田舎から見つけ出してずっと離さないで ここまで導き続けてくれたのは神さまの一方的な大きな ご愛です。
聖書の詩篇139:13には、「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」というみことばがあります。 価値がないと思っていた自分の人生が 目に見えるこの世のものがすべてだと嘆いていた自分に そうではない、神さまがお与えくださる計画はもっと祝福に満ちた素晴らしいものであると イエス様の十字架によって、神さまの価値の中に生きる者に変えられる希望を教えていただきました。

教会学校に行き始めた時から私を支えていてくれる「主は私の羊飼い 私は乏しいことがありません。」という詩篇23:1の聖書のみことばがあります。そのみことばの通り、主は 何も持たない 乏しい 凸凹だらけの私を良いものであふれさせ、緑の牧場に憩わせ 今日の日までいつも祝福を与え続けてきてくださいました。 京都で出会った方々が私にしてくれた主の良いみわざを思い出し、今度は私が神さまを伝えていく人になりたい そう願っています。

我孫子福音キリスト教会員 T.I 2022年12月24日(土)クリスマスイブ礼拝

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